光仁天皇が御登極あつて、前代の弊政を改められた事などを引出して語るまでも無いことであるが、忌はしい謡、或は妙な謡などが行はれたり変な風俗が行はれたりなんどした後に大きな事変があると、各人の記臆の中から、忌はしく感じたり異様に思つてゐた事などが頭を擡げて来て、さも/\其事変の前表予告でゞも有つたかの如く復現して来るものである。古の史家などは多くは此を前兆であらうかと取扱つて、そして正史にも野乗にも採記したのであるが、これも亦たしかに幾分か有理なる社会事相解釈の一面である。厭な歌詞や音楽や風俗化粧などは兎に角に無くて欲しいものであらねばならぬ。郷に入つて其謡を聞けば其郷知る可しである。そこで民を牧《やしな》ふ者は古から意をかゝる事にも用ゐたのである。邵子が橋上に杜鵑の声を聞いて天下の形勢を悟つたといふのも、豈直に杜鵑の声を聞いて而る後に悟るところ有りしならんやである。[#地付き](大正十二年十月)



底本:「日本の名随筆 別巻96 大正」作品社
   1999(平成11)年2月25日発行
底本の親本:「露伴全集 第三〇巻」岩波書店
   1954(昭和29)年7月
入力:加藤恭子
校正
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