る。震前の一般社会の一切の事象を観るに、実に欠けてゐたものは、恐懼修省の工夫であつた。人※[#二の字点、1−2−22]は甚だしく亢り甚しく侮り、自ら智なりとし、自ら大なりとし、貴重なる経験を軽視し、所謂好んで自ら小智を用ゐて、而も揚※[#二の字点、1−2−22]として誇る、高慢増長慢等、慢心熾盛の外道そのまゝであつた。今に於て大震災の為に、自ら智なりとした其智が風に飛ぶ塵砂より力無きことを示された。自ら大なりとした其大なることが、猛火の前の紙片よりもつまらぬ小なるものであることを悟らされた。こゝに於て恐懼修省することを為せば、実に幸である。今に当つて猶且修省することを知らずして、旧態依然たるものが有らば、それは先に笑ひ、後に号※[#「口+兆」、第4水準2−3−83]《がうてう》する者であらねばならぬ。笑ひ娯み、笑ひ怠るものは、泣き号び泣きくるしむ者となるべきが自然の道理である。鳥《とり》其|巣《す》を焚かれたるが如くなつて、大なる凶を得べきである。其|屋《やね》を豊《おほい》にし、其家に蔀《しとみ》し、よさゝうにすれば、日中に斗だの沫《ばい》だのといふ星を見て、大なる光は遮られ、小さな
前へ
次へ
全7ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング