、恐ろしいものにでも打のめされたように大動揺したが、直ちに
「ム」
と脣《くちびる》を結んで自ら堪えた。我を失ったのであった。大努力したのであった。今や満身の勇気を振い起したのであった。勇気は勝った。顔は赤みさした。
「アア」
という一嘆息に、過ぎたことはすべて葬り去って終《しま》って、
「よいわ。子は親を悩ませ苦めるようなことを為し居っても、親は子を何処までも可愛《かわゆ》く思う。それを何様《どう》とも仕ようとは思わぬ。あれはかわゆい、助けてやらねば……」
と、自分から自分を評すように云った。たしかにそれは目の前の女に対《むか》って言ったのでは無かった。然し其調子は如何にもしんみりとしたもので、怜悧《りこう》な此の女が帰って其主人に伝え忘れるべくも無いものであった。
 一切の事情は洞察されたのであった。
 女の才弁と態度と真情とは、事の第一原因たる吾《わ》が女主人の非行に触れること無く、又此|家《や》の老主人の威厳を冒すことも無く、巧みに一枝《いっし》の笛を取返すことの必要を此家の主人に会得させ、其の力を借《か》ることを乞いて、将《まさ》に其目的を達せんとするに至ったのである。此家の
前へ 次へ
全67ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング