ている地の、其の堺の大小路《おおしょうじ》を南へ、南の荘の立派な屋並の中《うち》の、分けても立派な堂々たる家、納屋衆の中でも頭株の嚥脂屋の奥の、内庭を前にした美しい小室に、火桶《ひおけ》を右にして暖かげに又安泰に坐り込んでいるのは、五十余りの清らな赭《あか》ら顔の、福々しい肥《ふと》り肉《じし》の男、にこやかに
「フム」
とばかりに軽く聴いている。何を些細《ささい》な事という調子である。これに対して下坐に身を伏せて、如何にもかしこまり切っている女は、召使筋の身分の故からというばかりでは無く、恐れと悲しみとにわなわなと顫《ふる》えているのは、今下げた頭《かしら》の元結《もとゆい》の端の真中に小波《さざなみ》を打っているのにも明らかであり、そして訴願の筋の差逼《さしせま》った情に燃えていることと見える。
「…………」
「…………」
双方とも暫時《しばし》言葉は無かった。屈託無げにはしているが福々爺《ふくふくや》の方は法体《ほったい》同様の大きな艶々した前《まえ》兀頭《はげあたま》の中で何か考えているのだろう、にこやかには繕っているが、其眼はジッと女の下げている頭《かしら》を射透《いすか》
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