から、下《しも》は庶民に至るまで、哀れな鳥や獣となったものが何程《どれほど》有ったことだったろう。
 此処は当時|明《みん》や朝鮮や南海との公然または秘密の交通貿易の要衝で大富有の地であった泉州堺の、町外れというのでは無いが物静かなところである。
 夕方から零《お》ち出した雪が暖地には稀《めず》らしくしんしんと降って、もう宵の口では無い今もまだ断《き》れ際《ぎわ》にはなりながらはらはらと降っている。片側は広く開けて野菜圃《やさいばたけ》でも続いているのか、其間に折々小さい茅屋《ぼうおく》が点在している。他の片側は立派な丈の高い塀つづき、それに沿うて小溝が廻されている、大家《たいか》の裏側通りである。
 今時分、人一人通ろうようは無い此様《こん》なところの雪の中を、何処を雪が降っているというように、寒いも淋しいも知らぬげに、昂然《こうぜん》として又悠然として田舎の方から歩いて来る者があった。
 こんなところを今頃うろつくのは、哀れな鳥か獣か。小鳥では無いまでも、いずれ暖い洞窟が待っているのでは無い獣でもあるか。
 薄筵《うすむしろ》の一端を寄せ束《つか》ねたのを笠にも簑《みの》にも代えて
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