、如何ようのものかは存ぜぬが、此男に呉れつかわされて、誓言通り此男に課状を負わさば、我等が企も」
と言いかくるを、主人《あるじ》左京は遽《あわ》ただしく眼と手とに一時に制止して、
「卒爾《そつじ》にものを言わるる勿《な》。もう宜《よ》い。何と仰せられてもそれがしはそれがし。互に言募れば止まりどころを失う。それがしは御相手になり申せぬ。」
と苦りきったる真面目顔、言葉の流れを截《き》って断たんとするを、右膳は
「ワッハハ」
と大河の決するが如く笑って、木沢が膝と我が膝と接せんばかりに詰寄って逼《せま》りながら、
「人の耳に入ってまこと悪くば、聴いた其奴《そやつ》を捻《ひね》りつぶそうまで。臙脂屋、其方が耳を持ったが気の毒、今此の俺《わし》に捻り殺されるか知れぬぞ。ワッハハハ」
と狂気《きちがい》笑《わら》いする。臙脂屋は聞けども聞かざるが如く、此勢に木沢は少しにじり退《すさ》りつつ、益々|毅然《きぜん》として愈々《いよいよ》苦りきり、
「丹下氏、おしずかに物を仰せられい。」
と云えども丹下は鎮《しず》まらばこそ、今は眼を剥《む》いて左京を一ト[#「ト」は小書き]睨《にら》みし、右膝に置ける大の拳《こぶし》に自然と入りたる力さえ見せて、
「我等が企と申したが御気に障ったそうナが、関《かま》わぬ、もはや関わぬ、此の機《しお》を失って何の斟酌《しんしゃく》。明日《あす》といい、明後日《あさって》といい、又明日といい明後日と云い、何の手筈がまだ調わぬ、彼《かに》の用意がまだ成らぬと、企を起してより延び延びの月日、人々の智慧才覚は然《さ》もあろうが、丹下右膳は倦《うん》じ果て申した。臙脂屋のじじい、それ、おのれの首が飛ぶぞ、用心せい、そもそも我等の企と申すのはナ」
と云いかけて、主人の面《おもて》をグッと睨む。主人も今は如何ともし難しと諦めてか、但しは此一場の始末を何とせんかと、※[#「匈/月」、1006−中−18]底《きょうてい》深く考え居りてか、差当りて何と為ん様子も無きに、右膳は愈々勝に乗り、
「故管領殿河内の御陣にて、表裏異心のともがらの奸計《かんけい》に陥入り、俄《にわか》に寄する数万《すまん》の敵、味方は総州征伐のためのみの出先の小勢、ほかに援兵無ければ、先ず公方をば筒井へ落しまいらせ、十三歳の若君|尚慶《ひさよし》殿ともあるものを、卑しき桂の遊女の風情に粧《よそ》いて、平《たいら》の三郎御供申し、大和《やまと》の奥郡《おくごおり》へ落し申したる心外さ、口惜《くちおし》さ。四月九日の夜に至って、人々最後の御盃、御《お》腹召されんとて藤四郎の刀を以て、三度まで引給えど曾《かつ》て切れざりしとよ、ヤイ、合点が行くか、藤四郎ほどの名作が、切れぬ筈も無く、我が君の怯《おく》れたまいたるわけも無けれど、皆是れ御最期までも吾《わ》が君の、世を思い、家を思い、臣下を思いたまいて、孔子《こうし》が魯《ろ》の国を去りかね玉いたる優しき御心ぞ。敵愈々逼りたれば吾が兄備前守」
と此処まで云いて今更の感に大粒の涙ハラハラと、
「雑兵共に踏入られては、御かばねの上の御恥も厭《いと》わしと、冠《かむ》リ[#「リ」は小書き]落しの信国が刀を抜いて、おのれが股《もも》を二度突通し試み、如何にも刃味|宜《よ》しとて主君に奉る。今は斯様《こう》よとそれにて御自害あり、近臣一同も死出の御供、城は火をかけて、灰今冷やかなる、其の残った臣下の我等一党、其儘《そのまま》に草に隠れ茂みに伏して、何で此世に生命《いのち》生きようや。無念骨髄に徹して歯を咬《か》み拳を握る幾月日、互に義に集まる鉄石の心、固く結びてはかりごとを通じ力を合せ、時を得て風を巻き雲を起し、若君尚慶殿を守立てて、天《あま》翔《か》くる竜の威を示さん存念、其企も既に熟して、其時もはや昨今に逼った。サ、かく大事を明かした上は、臙脂屋、其座はただ立たせぬぞ、必ず其方、武具、兵粮《ひょうろう》、人夫、馬、車、此方の申すままに差出さするぞ。日本国は堺の商人《あきゅうど》、商人の取引、二言は無いと申したナ。木沢殿所持の宝物は木沢殿から頂戴して遣わす。宜いではござらぬか、木沢殿。失礼ながら世に宝物など申すは、いずれ詰らぬ、下らぬもの。心よく呉れて遣って下されい。我等同志がためになり申す。……黙然として居らるるは……」
「不承知と申したら何となさる。」
「ナニ。いや、不承知と申さるる筈はござるまい。と存じてこそ是《かく》の如く物を申したれ。真実《まこと》、たって御不承知か。」
「臙脂屋を捻り潰《つぶ》しなさらねばなりますまいがノ。貴殿の御存じ寄り通りになるものとのみ、それがしを御見積りは御無体でござる。」
「ム」
「申した通り、此事は此事、左京一分の事。我等一党の事とは別の事にござる。」
「と云わるるは。扨《さて》は何
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