に頭《かしら》を下げて、
「堺、臙脂屋隠居にござりまする。故管領様|御内《おうち》、御同姓備前守様御身寄にござりますか、但しは南河内の……」
と皆まで云わせず、
「備前守弟であるわ。」
と誇らしげに云って、ハッと兀頭《はげあたま》が復び下げられたのに、年若者だけ淡い満足を感じたか機嫌が好く、
「臙脂屋。」
と、今度ははや呼びすてである。然し厭味《いやみ》は無くて親しみはあった。
「ハ」
と、老人は若者の目を見た。若い者は無邪気だった。
「其方は何か知らぬが余程の宝物を木沢殿に所望致し居って、其願が聴かれぬので悩み居るのじゃナ。」
「ハ」
「一体何じゃ其宝物は。」
「…………」
「霊験ある仏体かなんぞか。」
「……ではござりませぬ。」
「宝剣か、玉《ぎょく》か、唐渡《からわた》りのものか。」
「でもござりませぬ。」
「我邦|彼《かの》邦《くに》の古筆、名画の類《たぐい》でもあるか。」
「イエ、然様《さよう》のものでもござりませぬ。」
「ハテ分らぬ、然らば何物じゃ。」
「…………」
 主人は横合より口を入れた。
「丹下氏、おきになされ。貴殿にかかわったことではござらぬ。」
「ハハハ。一体それがしは宝物などいうものは大嫌い、鼻汁《はな》かんだら鼻が黒もうばかりの古臭い書画や、二本指で捻《ひね》り潰《つぶ》せるような持遊《もてあそ》び物を宝物呼ばわりをして、立派な侍の知行何年振りの価をつけ居る、苦々しい阿房《あほう》の沙汰じゃ。木沢殿の宝物は何か知らぬが、涙こぼして欲しがるほどの此老人に呉れて遣って下されては如何でござる。喃《のう》、老人、臙脂屋、其方に取っては余程欲しいものと見えるナ。」
「然様でござりまする。上も無く欲しいものにござりまする。」
「ム、然様か。臙脂屋身代を差出しても宜いように申したと聞いたが、聢《しか》と然様か。」
「全く以て然様で。如何様の事でも致しまする。御渡しを願えますれば此上の悦《よろこ》びはござりませぬ。」
「聢と然様じゃナ。」
「御当家木沢左京様、又丹下備前守様御弟御さまほどの方々に対して、臙脂屋|虚言《うそ》詐《いつわ》りは申しませぬ。物の取引に申出を後へ退《ひ》くようなことは、商人《あきゅうど》の決して為《せ》ぬことでござりまする。臙脂屋は口広うはござりまするが、商人でござりまする。日本国は泉州堺の商人でござる。高麗大明、安南天竺、南蛮諸国まで相手に致しての商人でござる。御武家には人質を取るとか申して、約束|変改《へんがい》を防ぐ道があると承わり居りまするが、其様《そん》なことを致すようでは、商人の道は一日も立たぬのでござりまする。御念には及びませぬ、臙脂屋は商人でござる。世界諸国に立対《たちむか》い居る日本国の商人でござりまする。」
と暗に武家をさえ罵《ののし》って、自家の気を吐き、まだ雛※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《ひなどり》である右膳を激動せしめた。右膳は真赤な顔を弥《いや》が上に赤くした。
「ウ、ほざいたナ臙脂屋。小気味のよいことをぬかし居る。其儀ならば丹下右膳、汝《そち》の所望を遂げさせて遣わそう。」
「ヤ、これは何ともはや、有難いこと。御助け下さる神様と仰ぎ奉りまする。」
と真心見せて臙脂屋は平伏したが、ややあって少し頭《かしら》を上げ、憂わし気に又悲しげに右膳を見て、
「トは仰《おっし》あって下さりましても。」
と、恨めし気に主人の方を一寸見て、又急に丹下の前に頭を下げ、
「ヤ、ナニ。何分御骨折、宜しく願いまする。事叶わずとも、……重々御恩には被《き》ますでござります。」
と萎《しお》れて云った。
 雛※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]は頸《くび》の毛を立てんばかりの勢になった。にッたりはにッたりで無くなった。
「木沢殿」と呼ぶ若い張りのある声と
「丹下氏」と呼ぶ緩《ゆる》い錆《さ》びた声とは、同時に双方の口から発してかち合った。
 二人が眼々《がんがん》相看た視線の箭《や》は其|鏃《やじり》と鏃とが正《まさ》に空中に突当った。が、丹下の箭は落ちた。木沢は圧《お》し被《かぶ》せるように、
「おきになされい、丹下氏。貴殿にかかわった事ではござらぬ。左京|一分《いちぶん》だけのずんと些細《ささい》なことでござる。」
と冷やかに且つ静かに云った。軽く若者を払い去って了おうとしたのであった。然し丹下の第二箭《だいにせん》は力強く放たれた。
「イヤ、木沢殿。御言葉を返すは失礼ながら、此の老人の先刻よりの申状、何事なりとも御意のまにまに致しまするとの誓言立《せいごんだて》、御耳に入らぬことはござるまい。臙脂屋と申せば商人ながら、堺の町の何人衆とか云われ居る指折、物も持ち居れば力も持ち居る者。ことに只今の広言、流石《さすが》は大家《たいけ》の、中々の男にござる。貴殿御所持の宝物
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