る。癪に触るものは一ツでも多く叩き潰《つぶ》し、一人でも多く叩き斬ろうに、遠慮も斟酌《しんしゃく》も何有ろう。御身は器量骨柄も勝《すぐ》れ、一ト[#「ト」は小書き]風ある気象もおもしろいで、これまでは談《はなし》も交したなれど、御身の頼みは聴入れ申さぬ。」
と感慨交りに厳しくことわられ、取縋《とりすが》ろうすべも無く没義道《もぎどう》に振放された。
「かほどまでに真実《まこと》を尽して御願い申しましても。」
「いやでござる。」
「金銀財宝、何なりと思召す通りに計らいましても。」
「いやでござる。」
「何事の御手助けなりとも致しましても。」
「いやでござる。」
「如何様にも御指図下さりますれば、仮令《たとい》臙脂屋身代|悉《ことごと》く灰となりましても御指図通りに致しまするが……」
「いやでござる。」
 ここに至って客の老人《としより》は徐《おもむ》ろに頭《こうべ》を擡《あ》げた。艶やかに兀《は》げた前頭からは光りが走った。其の澄んだ眼はチラリと主人を射た。が、又|忽《たちま》ちに頭《かしら》を少し下げて、低い調子の沈着な声で、
「おろかしい獣は愈々《いよいよ》かなわぬ時は刃物をも咬《か》みまする、あわれに愚かしいことでござります。人が困《こう》じきりますれば碌《ろく》でないことをも致しまする、あわれなことでござりまする。臙脂屋は無智のものでござりまする、微力なものでござりまする。しかし碌でないことなど致しまする心は毛頭持ちませぬが、何とか人を困じきらせぬように、何とか御燐み下されまするのも、正しくて強い御方に、在って宜い御余裕かと存じまするが……」
と、飽《あく》まで下からは出て居るが、底の心は測り難い、中々根強い言廻しに、却って激したか主人は、声の調子さえ高くなって、
「何と。求めて得られぬものは、奪うという法がある、偸《ぬす》むという法もある、手だれの者を頼んでそれがしを斬殺して了うという法もある、公辺の手を仮りて、怪しき奴と引括《ひっくく》らせる法もある。無智どころでは無い、器量人で。微力どころではない、痩《やせ》牢人《ろうにん》には余りある敵だ。ハハハハ、おもしろい。然様《そう》出て来ぬにも限らぬとは最初から想っていた。火が来れば水、水が来れば土。いつでも御相手の支度はござる。」
と罵《ののし》るように云うと、客は慌てず両手を挙げて、制止するようにし、
「飛んでも無い。ハハハ。申しようが悪うござりました。私、何でおろかしい獣になり申そう。ただ立《た》チ[#「チ」は小書き]端《ば》が無いまで困《こう》じきって、御余裕のある御挨拶を得たさの余りに申しました。今一応あらためて真実心を以て御願い致しまする。如何様の事にても、仮令《たとい》臙脂屋を灰と致しましても苦しゅうござりませぬ、何卒|彼《かの》品《しな》御かえし下されまするよう折入って願い上げまする。真実《まこと》、斯《こ》の通り……」
と誠実こめて低頭《じぎ》するを、
「いやでござる。」
と膠《にべ》も無く云放つ。
「かほどに御願い申しましても。」
「くどい。いやと申したら、いやでござる。」
 客は復《ふたた》び涙の眼になった。
「余りと申せば御情無い。其品を御持になったればとて其方《そなた》様《さま》には何の利得のあるでも無く、此方《こなた》には人の生命《いのち》にもかかわるものを……。相済みませぬが御恨めしゅう存じまする。」
「恨まれい、勝手に恨まれい。」
「我等の仇《あだ》でもない筈にあらせらるるに、それでは、我等を強いて御仇になさるると申すもの。」
「仇になりたくばならるるまで。」
「それでは何様《どう》あっても。」
「いやでござる。もはや互に言うことはござらぬ。御引取なされい。」
「ハアッ」
と流石《さすが》の老人《としより》も男泣に泣倒れんとする、此時足音いと荒く、
「無作法御免。」
と云うと同時に、入側様《いりがわよう》になりたる方より、がらりと障子を手ひどく引開けて突入し来たる一個の若者、芋虫《いもむし》のような太い前差、くくり袴《ばかま》に革《かわ》足袋《たび》のものものしき出立、真黒な髪、火の如き赤き顔、輝く眼、年はまだ二十三四、主人《あるじ》の傍《かたえ》にむんずと坐って、臙脂屋の方へは会釈も仕忘れ、傍に其人有りともせぬ風で、屹《きっ》として主人の面《おもて》を見守り、逼《せま》るが如くに其眼を見た。主人は眼をしばたたいて、物言うなと制止したが、それを悟ってか悟らいでか、今度はくるり臙脂屋の方へ向って、初めて其面をまともに見、傲然《ごうぜん》として軽く会釈し、
「臙脂屋御主人と見受け申す。それがしは牢人丹下右膳。」
と名乗った。主人は有らずもがなに思ったらしいが、にッたりと無言。臙脂屋は涙を収めて福々爺《ふくふくや》に還《かえ》り、叮寧《ていねい》
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