に感じられたが、もの静かに去った。男は外国織物と思わるる稍《やや》堅い茵《しとね》の上にむんずと坐った。室隅には炭火が顔は見せねど有りしと知られて、室《へや》はほんのりと暖かであった。
 これだけの家だ。奥にこそ此様《こんな》に人気《ひとけ》無くはしてあれ、表の方には、相応の男たち、腕筋も有り才覚も有る者どもの居らぬ筈は無い。運の面は何様《どん》なつらをして現われて来るものか、と思えば、流石《さすが》に真暗の中に居りながらも、暗中一ぱいに我が眼が見張られて、自然と我が手が我が左の腰に行った。然し忽《たちま》ち思返して、運は何様な面をしておれの前に出て来るか知らぬが、おれは斯様《こん》な面をして運に見せて遣《や》れ、とにったりとした笑い顔をつくった。
 其時|上手《かみて》の室に、忍びやかにはしても、男の感には触れる衣《きぬ》ずれ足音がして、いや、それよりも紅燭《こうしょく》の光がさっと射して来て、前の女とおぼしいのが銀の燭台を手にして出て来たのにつづいて、留木のかおり咽《む》せるばかりの美服の美女が現われて来た。が、互に能《よ》くも見交さぬに、
「アッ」
と前の女は驚いて、燭台を危く投げんばかりに、膝も腰も潰《つい》え砕けて、身を投げ伏して面《おもて》を匿《かく》して終《しま》った。
「にッたり」
と男は笑った。
 主人は流石に主人だけあった。これも驚いて仰反《のけぞ》って倒れんばかりにはなったが、辛く踏止まって、そして踏止まると共に其姿勢で、立ったまま男を憎悪と憤怒との眼で睨《にら》み下した。悍《たけ》しい、峻《さが》しい、冷たい、氷の欠片《かけ》のような厳しい光の眼であった。しかし美しいことは美しい、――悪の美しさの眼であった。
「にッたり」
と男は笑った。曇った鏡が人を映すように男は鈍々《のろのろ》と主人を見上げた。年はまだ三十前、肥《ふと》り肉《じし》の薄皮だち、血色は激したために余計紅いが、白粉《おしろい》を透《とお》して、我邦《わがくに》の人では無いように美しかった。眼鼻、口耳、皆立派で、眉は少し手が入っているらしい、代りに、髪は高貴の身分の人の如くに、綰《わが》ねずに垂れている、其処が傲慢《ごうまん》に見える。
 夜盗の類《たぐい》か、何者か、と眼稜《めかど》強《きつ》く主人が観た男は、額広く鼻高く、上り目の、朶《たぶ》少き耳、鎗《やり》おとがいに硬そ
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