うな鬚《ひげ》疎《まば》らに生い、甚だ多き髪を茶筅《ちゃせん》とも無く粗末に異様に短く束《つか》ねて、町人風の身づくりはしたれど更に似合わしからず、脇差一本指したる体《てい》、何とも合点が行かず、痩《や》せて居れども強そうに、今は貧相なれども前には人の上に立てるかとも思われ、盗賊の道の附入りということを現在には為したのなれど、癇癖《かんぺき》強くて正《まさ》しく意地を張りそうにも見え、すべて何とも推量に余る人品であった。その不気味な男が、前に
「にッたり」
と笑ったきり、何時までも顔の様子をかえず、にッたりを木彫《きぼり》にしたような者に「にッたり」と対《むか》っていられて、憎悪も憤怒も次第に裏崩れして了った。実に怒る者は知る可し、笑う者は測るべからず、である。求むる有るものは弱し、恐るるに足らず、求むる無き者は強し、之を如何ともする能《あた》わず、である。不可解は恐怖になり、恐怖は遁逃《とんとう》を思わしめるに至った。で、何も責め立てられるでも無く、強請されるでも無いが、此男の前に居るに堪え無くなって、退《の》こうとした。が、前に泣《なき》臥《ふ》している召使を見ると、そこは女の忽然《こつねん》として憤怒になって、
「コレ」
と、小さい声ではあったが叱るように云った。
「…………」
「…………」
「…………」
であって、短い時間では有ったが、非常に長い時間のように思われて、女は其の無言無物の寂寞《せきばく》の苦に、十万億土を通るというのは斯様いうものででもあるかと苦んでいたので、今、「コレ」と云われると、それが厳しい叱咤であろうと何であろうと、活路を死中に示され、暗夜に灯火を得たが如く、急に涙の顔を挙げて、
「ハイ」
と答えたが、事態の現在を眼にすると、復《また》今更にハラハラと泣いて、
「まことに相済みませぬ疎忽《そこつ》を致しました。御相図《おあいず》と承わり、又御物ごしが彼方《あのかた》様|其儘《そのまま》でござりましたので、……如何様にも私を御成敗下さりまして、……又此方様は、私、身を捨てましても、御引取いただくよう願いまして、然《さ》よう致しますれば……」
と、今まで泣伏していた間に考えていたものと見えて、心有りたけを澱《よど》みなく言立てた。真実はおもてに現われて、うそや飾りで無いことは、其の止途無《とめどな》い涙に知れ、そして此の紛《まぎ》れ込者を何
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