国まで相手に致しての商人でござる。御武家には人質を取るとか申して、約束|変改《へんがい》を防ぐ道があると承わり居りまするが、其様《そん》なことを致すようでは、商人の道は一日も立たぬのでござりまする。御念には及びませぬ、臙脂屋は商人でござる。世界諸国に立対《たちむか》い居る日本国の商人でござりまする。」
と暗に武家をさえ罵《ののし》って、自家の気を吐き、まだ雛※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《ひなどり》である右膳を激動せしめた。右膳は真赤な顔を弥《いや》が上に赤くした。
「ウ、ほざいたナ臙脂屋。小気味のよいことをぬかし居る。其儀ならば丹下右膳、汝《そち》の所望を遂げさせて遣わそう。」
「ヤ、これは何ともはや、有難いこと。御助け下さる神様と仰ぎ奉りまする。」
と真心見せて臙脂屋は平伏したが、ややあって少し頭《かしら》を上げ、憂わし気に又悲しげに右膳を見て、
「トは仰《おっし》あって下さりましても。」
と、恨めし気に主人の方を一寸見て、又急に丹下の前に頭を下げ、
「ヤ、ナニ。何分御骨折、宜しく願いまする。事叶わずとも、……重々御恩には被《き》ますでござります。」
と萎《しお》れて云った。
雛※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]は頸《くび》の毛を立てんばかりの勢になった。にッたりはにッたりで無くなった。
「木沢殿」と呼ぶ若い張りのある声と
「丹下氏」と呼ぶ緩《ゆる》い錆《さ》びた声とは、同時に双方の口から発してかち合った。
二人が眼々《がんがん》相看た視線の箭《や》は其|鏃《やじり》と鏃とが正《まさ》に空中に突当った。が、丹下の箭は落ちた。木沢は圧《お》し被《かぶ》せるように、
「おきになされい、丹下氏。貴殿にかかわった事ではござらぬ。左京|一分《いちぶん》だけのずんと些細《ささい》なことでござる。」
と冷やかに且つ静かに云った。軽く若者を払い去って了おうとしたのであった。然し丹下の第二箭《だいにせん》は力強く放たれた。
「イヤ、木沢殿。御言葉を返すは失礼ながら、此の老人の先刻よりの申状、何事なりとも御意のまにまに致しまするとの誓言立《せいごんだて》、御耳に入らぬことはござるまい。臙脂屋と申せば商人ながら、堺の町の何人衆とか云われ居る指折、物も持ち居れば力も持ち居る者。ことに只今の広言、流石《さすが》は大家《たいけ》の、中々の男にござる。貴殿御所持の宝物
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