りと雖、水佳ならざれば遂に佳なるを得ざるなり。豆腐は※[#「さけのとり+囚+皿」、第3水準1−92−88、19−5]醸の事無しと雖、水に因つて体を成すこと猶酒の如し。故に水佳なれば佳品を得、水佳ならざれば佳品を得ず。京の祇園豆腐も蓋し其の水の佳なるによつて名を得るなり。茶に至つては、其味もと至微の間に在り。こゝに於て水に須《ま》つ処のもの甚深甚大なり。東山氏は園内の清泉を用ゐ、豊臣氏は宇治の橋間に汲ましむ。予むしろ豊臣氏に左袒せん。小泉清しと雖、長流或は勝らんなり。堅田の祐菴は水の味を知るに於て精《くは》し。琵琶湖の水、甲処に於て汲む者と乙処に於て汲む者とを弁じて錯《あや》まらざりしといふ。茶博士たるもの、固《まこと》に是の如くなるべき也。支那に於ては西冷の水、天下に名あり。士の特に此を汲むもの、文の特に此を記するもの、甚だ多し。長江の水、おのづから又佳処あり不佳処ありて、而して郭墓《くわくぼ》の辺《あたり》、もつとも佳なるならん。凡そ水味を論ずるの書、唐の張又新《ちやういうしん》、盧仝《ろどう》等より始まりて、宋元明清に及び、好事の士、時に撰著あり。蘇東坡の真君泉を賞し、葛懶真《かつ
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