らいしん》の藍家井を揚ぐるが如き、詩詞雑述のこれに及ぶもの、また甚《はなはだ》少からず。我邦に於ては、乗化亭《じようくわてい》の書以外、寥※[#「二の字点」、面区点番号1−2−22、19−15]聞くところ無し。千氏片桐氏等、茶技を以て名あるもの、水を品せざるにあらずと雖、面授して而して筆伝せず。故に其の言散見するありて、其書の完成せる無きならん。
江戸の盛《さかん》なるに当つて、泉井以外、西に玉川の水あり、北に綾瀬の水あり。玉川の水、今猶市民これによりて活く。而れども明澄はこれ有り、真味は乏し。味に精《くはし》き者曰く、水道の水、礬気《ばんき》ありと。綾瀬の水、今は飲むに堪へず、溷濁汚腐、昔日の地志の此を称せしを疑はざるを得ざるなり。江戸川の水、久旱雨無ければ、御熊野の辺、今猶古人の評の我を欺かざるを覚ゆ。然れども上流漸く人家多くして、亦漸く綾瀬のごとくならんとするの虞《おそれ》あり。好事の人の就て汲む者の如き、終《つひ》に往時の一夢たらんのみ。利根川の水、「がまん」甚だ佳なり。がまんは忍耐の義にして、流《ながれ》急に水|駛《はや》く、忍耐せざれば舟を溯《さかのぼ》らしむる能はざるを
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング