区に取りては感謝すべき水路なりといふべし。その西に入るものは猿屋町鳥越町等の間を経て、下谷竹町の東、浅草小島町の西に至る、これいはゆる
○三絃堀《しやみせんぼり》なるものなり。この一条の水路もまた不潔と狭隘とを以て人の厭ふところなるが、これまた湿気排除のためと漕運の便とのために重要の一路たらずんばあらず。元来下谷は卑湿の地にして、西に湯島本郷の高地を負ふをもて、一朝雨雪の大に降るに会へば高処の水は自ら低処に来りて、下谷は一大|瀦水地《ちよすいち》となるの観を呈す。就中《なかんずく》御徒士町仲徒士町竹町等は氾濫の中心となるの勢あり。されば三味線堀は今も既に不忍の池の余水を受くるといへども、なほこれを修治拡大して立派なる渠となし、また一路を分岐せしめて、竹町仲徒士町等を経て南の方秋葉の原鉄道貨物取扱所構内の水路に通じ、神田川に達するに至らしめなば、漕運の利は必ずしも大ならずとするも衛生上の益は決して尠少《せんしよう》ならざるべし。さて隅田川いよ/\下りて、浅草瓦町、本所横網町まさに尽きんとするのところに至れば、
○富士見の渡といふ渡あり。この渡はその名の表はすが如く最も好く富士を望むべし。
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