共に秘蔵して永く副品としますから」といふので、四十金を贈つたといふことである。無論丹泉は其後復同じ品を造りはしなかつたので有らう。
 此談だけでも可なり骨董好きは教へられるところが有らうが、談はまだ続くのである。それから年月を経て、万暦の末年頃、淮安《わいあん》に杜九如《ときうじよ》といふものが有つた。これは商人で、大身上で、素敵な物を買出すので名を得てゐた。千金を惜まずして奇玩を是れ購ふので、董元宰《たうげんさい》の旧蔵の漢玉章、劉海日の旧蔵の商金鼎なんといふものも、皆杜九如の手に落ちた位である。此の杜九如が唐太常の家に在る定鼎の噂を聞いて居て、かね/″\何様かして手に入れたいものだと覗つてゐた。太常の家は孫の代になつて、君兪《くんゆ》といふものが当主であつた。君兪は名家に生れて、気位も高く、且つ豪華で交際を好む人であつたので、九如は大金を齎らして君兪の為に寿を為し、是非とも何様か名高い定鼎を拝見して、生平の渇望を慰したいと申出した。君兪は金で面を撲《は》るやうな九如を余り好みもせず、且つ自分の家柄からして下眼に視たことでゞも有らう、ウン御覧に入れませうと云つて半分冗談に、真鼎は深蔵したまゝ、彼の周丹泉が倣造した副の方の贋鼎《がんてい》を出して視せた。贋鼎だつて、最初真鼎の持主の凝菴が歎服した位のものでは有り、まして真鼎を目にしたことは無い九如であるから、贋物と悟らうやうは無い、すつかり其の高雅妙巧の威に撲たれて終つて、堪らない佳い物だと思ひ込んで惚れ/″\した。そこで無理やりに千金を押付て、別に二百金を中間に立つて取做して呉れる人に酬ひ、そして贋鼎を豪奪するやうにして去つた。巧偸豪奪といふ語は、宋の頃から既に数※[#二の字点、1−2−22]《しば/\》見える語で、骨董好きの人※[#二の字点、1−2−22]には豪奪といふことも自然と起らざるを得ぬことである。マアそれも恕すべきこととすれば恕すべきことである。
 然し君兪の方では困ることであつた。何故と云へば持つて行かれたのが真物では無いからである。君兪は最初は気位の高いところから、町人の腹ッぷくれなんぞ何だといふ位のことで贋物を真顔で視せたのであるが、元来が人の悪い人でも何でも無く温厚の人なので、欺いたやうになつたまゝ済ませて置くことは出来ぬと思つた。そこで門下の士を遣つて、九如に告げさせた。「君が取つて行つたものは実は贋鼎である。真の定鼎はまだ此方に蔵してあるので、それは太常公の戒に遵《したが》つて軽※[#二の字点、1−2−22]しく人に示さぬことになつてゐるから御視せ申さなかつたのである。然るに君が既に千金を捐《す》てゝ贋品を有つてゐるといふことになると、君は知らなくても自分は心に愧ぢぬといふ訳にはゆかぬでは無いか。何様か彼の鼎を還して下さい、千金は無論御返しするから」と理解させたのである。ところが世間に得て有るところの例で、品物を売る前には金が貴く思へて品物を手放すが、手放して了ふと其物の無いのが淋しくなり、それに未練が出て取返したくなるものである。杜九如の方ではテッキリそれだと思つたから、贋物だつたなぞといふのは口実だと考へて、約束変改をしたいのが本心だと見た。そこで、「何様いたしまして。あの様な贋物が有るものではございますまい。仮令贋物にしましたところで、手前の方では結構でございます、頂戴致して置きまして後悔はございません」とやり返した。「そんなに此方の言葉を御信用が無いならば、二つの鼎を列べて御覧になつたらば如何です」と一方は云つたが、それでも一方は信疑相半して、「当方は何様しても頂戴して置きます」と意地張つた。そこで唐君兪は遂に真鼎を出して、贋鼎に比べて視せた。双方とも立派なものでは有るが、比べて視ると、神彩霊威、もとより真物は世間に二ツとあるべきで無いところを見《あら》はした。然し杜九如も前言の手前、如何ともしようとは云はなかつた。つまり模品だといふことを承知しただけに止まつて、返しはし無かつた。九如の其時の心の中は傍《はた》からは中※[#二の字点、1−2−22]面白く感ぜられるが、当人に取つては随分変なもので有つたらう。然し此の委曲を世間が知らう筈は無い、九如の家には千金に易へた宝鼎が伝はつたのである。九如は老死して、其子がこれを伝へて有つてゐた。
 王廷珸《わうていご》字《あざな》は越石《ゑつせき》と云ふ者が有つた。これは片鐙を金八に売りつけたやうな性質の良く無い骨董屋であつた。この男が杜九如の家に大した定鼎の有ることを知つてゐた。九如の子は放蕩もので有つたので、花柳の巷に大金を捨てゝ、家も段※[#二の字点、1−2−22]に悪くなつた。そこへ付込んで廷珸は杜生に八百金を提供して、そして「御返金にならない場合でも御宅の窯鼎《えうてい》さへ御渡し下されば」といふことを云つて置いた。杜生はお坊さんで、延珸の謀つた通りになり、鼎は廷珸の手に落ちて了つた。廷珸は大喜びで、天下一品、価値万金なんどと大法螺を吹立て、かねて好事《かうず》で鳴つてゐる徐六岳《じよりくがく》といふ大紳に売付けにかゝつた。徐六岳を最初から延珸は好い鳥だと狙つて居たのであらう。ところが徐はあまり延珸が狡譎《かうきつ》なのを悪んで、横を向いて了つた。延珸はアテがはづれて困つたが仕方が無かつた。もとよりヤリクリをして、狡辛《こすから》く世を送つてゐるものだから、嵌め込む目的《あて》が無い時は質に入れたり、色気の見える客が出た時は急に質受けしたり、十余年の間といふものは、まるで碁を打つやうなカラクリを仕てゐた其の間に、同じやうな族類系統の肖《に》たものをいろ/\求めて、何様かして甘い汁を啜らうとして居た。其中に泰興の季因是《きいんぜ》といふ、相当の位地のある者が延珸に引かゝつた。
 季因是もかねて唐家の定窯鼎の事を耳にしてゐた。勿論見た事も無ければ、詳しい談を聞いてゐたのでも無い。たゞ其の名に憧れて、大した名物だといふことを知つて居たに過ぎない。延珸は因是の甘いお客だといふことを見抜いて、「これが其の宝器でございまして、これ/\の訳で出たものでございまする」と宜い加減な伝来のいきさつを談して、一つの窯鼎を売りつけた。それも自分が杜生から得た物を売つたのならまだしもであつて、贋鼎にせよ周丹泉の立派な模品であるから宜いが、似ても似つかぬ物で、しかも形さへ異つてゐる方鼎であつた。然し季因是はまるで知らなかつたのだから、廷珸の言に瞞着されて、大名物を得る悦びに五百金といふ高慢税を払つて、大ニコ/\で居た。
 然るに毘陵の趙再思《てうさいし》といふ者が、偶然泰興を過ぎたので、知合で有つたから季因是の家をおとづれた。毘陵は即ち唐家の在るところの地で、同じ毘陵の者であるから、趙再思も唐家に遊んだことも有つて、彼の大名物の定鼎を見たことも有つたのである。其の毘陵の人が来たので、季因是は大天狗で、「近ごろ大した物を手に入れましたが、それは乃ち唐氏の旧蔵の名物で、わざとにも御評鑒《ごひやうかん》を得たいと思つて居りましたところを、丁度御光来を得ましたのは誠に仕合せで」と云ふ談だ。趙再思はたゞハイ/\と云つてゐると、季は重ねて、「唐家の定窯の方鼎は、君も曾て御覧になつたことが御有りですか」と云つた。そこで趙は堪へかねて笑ひ出して、「何と仰《おつし》あります、唐氏の定鼎は方鼎ではございませぬ、円鼎で、足は三つで、方鼎と仰あるが、それは何で」と答へた。季因是はこれを聴くと怫然として奥へ入つて了つて久しく出て来なかつた。趙再思は仕方無しに俟つてゐると、暮方になつて漸く季は出て来て、余怒猶ほ色に在るばかりで、「自分に方鼎を売付けた王廷珸といふ奴めは人を馬鹿にした憎い奴、南科の屈静源は自分が取立てたのですから、今書面を静源に遣はしました。静源は自分の為に此の一埒を明けて呉れませう」といふことであつた。果して屈静源は有司に属して追理しようとしたから、王廷珸は大しくじりで、一目散に姿を匿して仕舞つて、人をたのんで詫を入れ、別に偽物などを贈つて、やつと牢獄《らうや》へ打込まれるのを免れた。
 談はこれだけで済んでも、可なり可笑味も有り憎味も有つて沢山なのであるが、まだ続くから愈ゝ変なものだ。延珸の知合に黄※[#二の字点、1−2−22]石、名は正賓といふものがあつた。廷珸と同じ徽州《きしう》のもので、親類つゞきだなど云つてゐたが、此男は※[#「てへん+晉」、第3水準1−84−87]紳《しんしん》の間にも遊び、少しは鼎彝《ていい》書画の類をも蓄へ、又少しは眼もあつて、本業といふのでは無いが、半黒人で売つたり買つたりも仕ようといふ男だ。斯様いふ男は随分世間にも有るもので、雅のやうで俗で、俗のやうで物好でも有つて、愚のやうで怜悧《りこう》で、怜悧のやうで畢竟は愚のやうでもある。不才の才子である。此の正賓はいつも廷珸と互に所有の骨董を取易へごとをしたり、売買の世話をしたりさせたりして、そして面白がつてゐた。此男が自分の倪雲林の山水一幅、すばらしい上出来なのを延珸に託して売つて貰はうとしてゐた。価は百二十金で、一寸は無い程のものだつた。で、延珸の手へ託しては置いたが、金高ものでもあり、口が遠くて長くなる間に、何様な事が起らぬとも限らぬと思つたので、そこで中※[#二の字点、1−2−22]ウッカリして居ぬ男なので、其幅の知れないところへ予じめ自分の花押《くわあふ》を記して置いて、勿論延珸にも其事は秘して居つたのである。廷珸は其の雲林を見ると素敵に好いので、欲しくなつて堪らなかつた。で、上手な贋筆かきに頼んで、すつかり其通りの模本をこしらへさせた。正賓が取返しに来た時、米元章流の巧偸をやらかして、※[#「墓」の「土」に代えて「手」、第3水準1−84−88]本《もほん》の方を渡して知らん顔をきめようと云ふのであつた。ところが先方にも荒神様が付いてゐない訳では無くて、チャント隠し印のあることには気が付かなかつたのである。斯様いふイキサツだから何時まで経つても売れない。そこで正賓は召使の男を遣つて、雲林を取返して来いと云付けた。隠し印のことは無論男に呑込ませたのである。此の男の王仏元といふのも、平常《いつも》主人等の五分もすかさかいところを見聞して知つてゐるので、中々賢くなつてゐる奴だつた。で、仏元は延珸のところへ往つて、雲林を返して下さいと云ふと、廷珸は承知して一幅を返した。一幅は何も彼も異つては居なかつた。しかし仏元は隠しじるしの有り処に就いて其の有無を査べた。不思議や主人の花押は影も形も無かつた。無い筈である、延珸が今渡したものは正しく※[#「墓」の「土」に代えて「手」、第3水準1−84−88]品なのであるもの。
 仏元は扨こそと腹の中でニヤリと笑つた。ところで此男がまた真剣白刃取りを奉書の紙一枚で遣付けようといふ男だつたから、これは怪しからん、模本贋物を御渡しになるとは、と真正面から此方の理屈の木刀を揮つて先方の毒悪の真剣と切結ぶやうな不利なことをする者では無かつた。何でも無い顔をして模本の雲林を受取つた。敵の真剣を受留めはしないで、澄まして体を交はして危気の無いところに身を置いたのである。そして斯様いふことを言つた。「主人はたゞ私に画を頂戴して参れとばかりでは無く、こちらの定窯鼎をお預かり致してまゐれ、御直段の事はいづれ御相談致しますといふことで」と云つた。定鼎の売れ口が有りさうな談である。そこで延珸は悦んで例の鼎を出して仏元に渡した。延珸は仏元に、より長い真剣を渡して終つたのである。
 そこへ正賓は遣つて来た。そして画を検査してから、「售《う》れないなら售れないで、原物を返して呉れるべきに、狡いことをしては困る」と云ふと、「飛んでも無い、正しくこれは原物で」と延珸は云ひ張る。「イヤ、然様は脱けさせない。自分は隠しじるしを仕て置いた、それが今何処に在る。ソンナ甘い手を食はせられる自分ぢやない」と云ふ。「そりや云掛りといふもので、原物を返せば論は無い筈だ」と云ふ。双方負けず劣らず遣合つて、チャン/\バラと闘つたが、仏元は左右の指を鼎の耳
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