へかけて、此鼎を還すまじいさまをして居た。論に勝つても鼎を取られては詰らぬと気のついた延珸は、スキを見て鼎を奪取らうとしたが、耳をしつかり持つてゐたのだつたから、巧くは奪へなかつた。耳は折れる、鼎は地に墜ちる。カチャンといふ音一ツで、千万金にもと思つて居たものは粉砕してしまつた。ハッと思ふと憤恨一時に爆裂した廷珸は、夢中になつて当面の敵の正賓にウンと頭撞《づつ》きを食はせた。正賓は肋を傷けられて卒倒し、一場は無茶苦茶になつた。
 元来正賓は近年逆境に居り、且又不如意で、惜しい雲林さへ放さうとして居た位のところへ、廷珸の侮りに遭ひ、物は取上げられ、肋は傷けられたので、鬱悶苦痛一時に逼り、越夕《ゑつせき》して終に死んで仕舞つた。延珸も人命沙汰になつたので土地には居られないから、出発して跡を杭州にくらました。周丹泉の造つた模品はこれで土に返つた訳である。
 談はもうこれで沢山であるのに、まだ続くから罪が深い。延珸が前に定窯の鼎類数種を蒐《あつ》めた中に、猶ほ唐氏旧蔵の定鼎と号して大名物を以て人を欺くべきものが有つた。延珸は杭州に逃げたところ、当時※[#「さんずい+路」、第3水準1−87−11]王が杭州に寓して居られた。延珸は※[#「さんずい+路」、第3水準1−87−11]王の承奉兪啓雲といふ者に遇つて、贋鼎を出して示して、これが唐氏旧蔵の大名物と誇耀した。そして※[#「さんずい+路」、第3水準1−87−11]王に手引して貰つて、手取り千六百金、四百金を承奉に贈ることにして、二千金で売付けた。時はもう明末にかゝり、万事不束で、人も満足なものも無かつたので、一厨役の少し麁※[#「滷−さんずい」、第3水準1−83−35]《そろ》なものに其鼎を蔵した管龠《くわんやく》を扱はせたので、其男があやまつて其の贋鼎の一足を折つて仕舞つた。で、其男は罪を懼れて身を投げて死んで終つた。其頃大兵が杭州に入り来たつて、※[#「さんずい+路」、第3水準1−87−11]王は奔り、承奉は廃鼎を銭塘江《せんたうかう》に沈めて仕舞つたといふ。
 これで此の一条の談は終りであるが、骨董といふものに附随して随分種※[#二の字点、1−2−22]の現象が見られることは、ひとり此の談のみの事では有るまい。骨董は好い、骨董はおもしろい。たゞし願はくはスラリと大枚な高慢税を出して楽みたい。廷珸や正賓のやうな者に誰しも関係したくは思ふまい。それからまた、何程《いくら》詰らぬ人にだつて、鼎の足を折つたために身を投げて貰つたりなぞしたくは有るまい。
[#地から2字上げ](大正十五年十一月「改造」)



底本:「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」講談社
   1963(昭和38)年1月19日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
※底本中164頁2段5行の「骨董羮」に《い》とルビがふってありますが、異本では《こつとうかん》となっているのでルビは削除しました。
※底本中167頁2段10行の「釉の工合《くすり》の」は異本を参照し、「釉《くすり》の工合の」としました。
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校正:浅原庸子
2007年11月9日作成
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