道好きだつた人が、死ぬ間際に数万金で一茶器を手に入れて、幾時間を楽んで死んでしまつた。一時間が何千円に当つた訳だ、なぞと譏《そし》る者が有るが、それは譏る方がケチな根性で、一生理屈地獄でノタウチ廻るよりほかの能の無い、理屈をぬけた楽しい天地の有ることを知らぬからの論だ。趣味の前には百万両だつて煙草の煙よりも果敢《はかな》いものにしか思へぬことを会得しないからだ。
 骨董は何様考へてもいろ/\の意味で悪いものでは無い。特《こと》に年寄になつたり金持になつたりしたものには、骨董でも捻くつて貰つてゐるのが何より好い。不老若返り薬などを年寄に用ゐて貰つて、若い者の邪魔をさせるなどは悪い洒落だ。老人には老人相応のオモチャを当がつて、落ついて隅の方で高慢の顔をさせて置く方が、天下泰平の御祈祷になる。小供はセルロイドの玩器《おもちや》を持つ、年寄は楽焼の玩器を持つ、と小学読本に書いて置いても差支無い位だ。又金持は兎角に金が余つて気の毒な運命に囚へられてるものだから、六朝仏《りくてうぶつ》印度仏ぐらゐでは済度されない故、夏殷周の頃の大古物、妲己《だつき》の金盥に狐の毛が三本着いてゐるのだの、伊尹《いゐ
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