足り、少しの閑暇があり、利益や権力の慾火は断《た》えず燃ゆるにしてもそれが世態|漸《ようや》く安固ならんとする傾《かたむき》を示して来て、そうむやみに修羅心《しゅらしん》に任せて※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》きまわることも無効ならんとする勢《いきおい》の見ゆる時において、どうして趣味の慾が頭を擡《もた》げずにいよう。いわんやまた趣味には高下もあり優劣もあるから、優越の地に立ちたいという優勝慾も無論手伝うことであって、ここに茶事という孤独的でない会合的の興味ある事が存するにおいては、誰か茶讌《ちゃえん》を好まぬものがあろう。そしてまた誰か他人の所有に優《まさ》るところの面白い、味のある、平凡ならぬ骨董を得ることを悦ばぬ者があろう。需《もと》むる者が多くて、給《きゅう》さるべき物は少い。さあ骨董がどうして貴きが上にも貴くならずにいよう。上は大名たちより、下は有福《ゆうふく》の町人に至るまで、競って高慢税を払おうとした。税率は人※[#二の字点、1−2−22]が寄ってたかって競《せ》り上げた。北野《きたの》の大茶《おおちゃ》の湯《ゆ》なんて、馬鹿気たことでもなく、不風流の事でもないか知らぬが、一方から観れば天下を茶の煙りに巻いて、大煽りに煽ったもので、高慢競争をさせたようなものだ。さてまた当時において秀吉の威光を背後に負いて、目眩《まばゆ》いほどに光り輝いたものは千利休《せんのりきゅう》であった。勿論利休は不世出の英霊漢である。兵政の世界において秀吉が不世出の人であったと同様に、趣味の世界においては先ず以《もっ》て最高位に立つべき不世出の人であった。足利《あしかが》以来の趣味はこの人によって水際立《みずぎわだ》って進歩させられたのである。その脳力も眼力も腕力も尋常一様の人ではない。利休以外にも英俊は存在したが、少※[#二の字点、1−2−22]は差があっても、皆大体においては利休と相《あい》呼応し相《あい》追随した人※[#二の字点、1−2−22]であって、利休は衆星の中に月の如く輝き、群魚を率いる先頭魚となって悠然としていたのである。秀吉が利休を寵用したのはさすが秀吉である。足利氏の時にも相阿弥《そうあみ》その他の人※[#二の字点、1−2−22]、利休と同じような身分の人※[#二の字点、1−2−22]はあっても、利休ほどの人もなく、また利休が用いられたほどに用いられた人もなく、また利休ほどに一世の趣味を動かして向上進歩せしめた人もない。利休は実に天仙《てんせん》の才である。自分なぞはいわゆる茶の湯者流の儀礼などは塵《ちり》ばかりも知らぬ者であるけれども、利休がわが邦《くに》の趣味の世界に与えた恩沢は今に至《いたっ》てなお存して、自分らにも加被《かひ》していることを感じているものである。かほどの利休を秀吉が用いたのは実にさすがに秀吉である。利休は当時において言わず語らずの間に高慢税査定者とされたのである。
 利休が佳《か》なりとした物を世人は佳なりとした。利休がおもしろいとし、貴しとした物を、世人はおもしろいとし、貴しとした。それは利休に一毫《いちごう》のウソもなくて、利休の佳とし、おもしろいとし、貴しとした物は、真に佳なるもの、真におもしろい物、真に貴い物であったからである。利休の指点したものは、それが塊然《かいぜん》たる一陶器であっても一度その指点を経《ふ》るや金玉ただならざる物となったのである。勿論利休を幇《たす》けて当時の趣味の世界を進歩させた諸星の働きもあったには相違ないが、一代の宗匠として利休は恐ろしき威力を有して、諸星を引率し、世間をして追随させたのである。それは利休のウソのない、秀霊の趣味感から成立ったことで、何らその間《かん》にイヤな事もない、利休が佳とし面白しとし貴しとした物は、長《とこし》えに真に佳であり面白くあり貴くある物であるのであるが、しかしまた一面には当時の最高有力者たる秀吉が利休を用い利休を尊《たっと》み利休を殆んど神聖なるものとしたのが利休背後の大光※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《だいこうえん》だった事も争えない。で、利休の指の指した者は頑鉄《がんてつ》も黄金《おうごん》となったのである。点鉄成金は仙術の事だが、利休は実に霊術を有する天仙の臨凡《りんぼん》したのであったのである。一世は利休に追随したのである。人※[#二の字点、1−2−22]は争って利休の貴しとした物を貴しとした。これを得る喜悦、これを得る高慢のために高慢税を納めることを敢《あえ》てしたのである、その高慢税の額は間接に皆利休の査定するところであったのである。自身はそんな卑役《ひやく》を取るつもりはなかったろうが、自然の勢《いきおい》で自分も知らぬ間に何時《いつ》かそういう役廻りをさせられるようになっていたのである。骨董が黄金何枚何十枚、一郡一城、あるいは血みどろの悪戦の功労とも匹敵するようなことになった。換言すれば骨董は一種の不換紙幣のようなものになったので、そしてその不換紙幣の発行者は利休という訳になったようなものである。西郷《さいごう》が出したり大隈《おおくま》が出したりした不換紙幣は直《じき》に価値が低くなったが、利休の出した不換紙幣はその後何百年を経てなおその価値を保っている。さすがは秀吉はエライ人間をつかまえて不換紙幣発行者としたもので、そして利休はまたホントに無慾でしかも煉金術を真に能《よ》くした神仙であったのである。不換紙幣は当時どれほど世の中の調節に与《あずか》って霊力があったか知れぬ。その利を受けた者は勿論利休ではない、秀吉であった。秀吉は恐ろしい男で、神仙を駆使してわが用を為さしめたのである。さて祭りが済めば芻狗《すうく》は不要だ。よい加減に不換紙幣が流通した時、不換紙幣発行は打切られ、利休は詰らぬ理屈を付けられて殺されて終《しま》った。後から後からと際限なく発行されるのではないから、不換紙幣は長くその価値を保った。各大名や有福町人の蔵の中に収まりかえっていた。考えて見れば黄金や宝石だって人生に取って真価値があるのではない、やはり一種の手形じゃまでなのであろう。徹底して観ずれば骨董も黄金も宝石も兌換券も不換紙幣も似たり寄ったりで、承知されて通用すれば樹の葉が小判でも不思議はないのだ。骨董の佳《よ》い物おもしろい物の方が大判やダイヤモンドよりも佳くもあり面白くもあるから、金貨や兌換券で高慢税をウンと払って、釉《くすり》の工合の妙味言うべからざる茶碗なり茶入《ちゃいれ》なり、何によらず見処《みどころ》のある骨董を、好きならば手にして楽しむ方が、暢達《ちょうたつ》した料簡というものだ。理屈に沈む秋のさびしさ、よりも、理屈をぬけて春のおもしろ、の方が好さそうな訳だ。関西の大富豪で茶道好きだった人が、死ぬ間際に数万金で一茶器を手に入れて、幾時間を楽《たのし》んで死んでしまった。一時間が何千円に当った訳だ、なぞと譏《そし》る者があるが、それは譏る方がケチな根性で、一生理屈地獄でノタウチ廻るよりほかの能のない、理屈をぬけた楽しい天地のあることを知らぬからの論だ。趣味の前には百万両だって煙草《たばこ》の煙よりも果敢《はかな》いものにしか思えぬことを会得しないからだ。
 骨董はどう考えてもいろいろの意味で悪いものではない。特《こと》に年寄になったり金持になったりしたものには、骨董でも捻《ひね》くってもらっているのが何より好い。不老若返り薬などを年寄に用いてもらって、若い者の邪魔をさせるなどは悪い洒落《しゃれ》だ。老人には老人相応のオモチャを当《あて》がって、落《おち》ついて隅の方で高慢の顔をさせて置く方が、天下泰平の御祈祷《ごきとう》になる。小供はセルロイドの玩器《おもちゃ》を持つ、年寄は楽焼《らくやき》の玩器《おもちゃ》を持つ、と小学|読本《とくほん》に書いて置いても差支《さしつかえ》ない位だ。また金持はとかくに金が余って気の毒な運命に囚《とら》えられてるものだから、六朝仏《りくちょうぶつ》印度仏《いんどぶつ》ぐらいでは済度《とくど》されない故、夏殷周《かいんしゅう》の頃の大古物、妲己《だつき》の金盥《かなだらい》に狐の毛が三本着いているのだの、伊尹《いいん》の使った料理鍋、禹《う》の穿《は》いたカナカンジキだのというようなものを素敵に高く買わすべきで、これはこれ有無相通、世間の不公平を除き、社会主義者だの無産者だのというむずかしい神※[#二の字点、1−2−22]の神慮をすずしめ奉《たてまつ》る御神楽《おかぐら》の一座にも相成る訳だ。
 が、それはそれでよいとして、年寄でもなく、二才《にさい》でもなく、金持でもなく、文無しでもない、いわゆる中年中産階級の者でも骨董を好かぬとは限らない。こういう連中は全く盲人《めくら》というでもなく、さればといって高慢税を進んで沢山納め奉るほどの金も意気もないので、得《え》て中有《ちゅうう》に迷った亡者のようになる。ところが書画骨董に心を寄せたり手を出したりする者の大多数はこの連中で、仕方がないからこの連中の内で聡明でもあり善良でもある輩《やから》は、高級骨董の素晴らしい物に手を掛けたくない事はないが、それは雲に梯《かけはし》の及ばぬ恋路みたようなものだから、やはり自分らの身分相応の中流どころの骨董で楽しむことになる。一番聡明善良なるものは分科的専門的にして、自分の関係しようとする範囲をなるべく狭小にし、そして歳月をその中で楽しむ。いわゆる一[#(ト)]筋を通し、一[#(ト)]流れを守って、画《え》なら画で何派の誰を中心にしたところとか、陶器なら陶器で何窯《なにがま》の何時《いつ》頃とか、書なら書で儒者の誰※[#二の字点、1−2−22]とか、蒔絵《まきえ》なら蒔絵で極《ごく》古いところとか近いところとか、というように心を寄せ手を掛ける。この「筋の通った蒐集研究をする」これは最も賢明で本当の仕方であるから、相応に月謝さえ払えば立派に眼も明き味も解って来て、間違《まちがい》なく、最も無難に清娯《せいご》を得る訳だから論はない。しかるにまた大多数の人※[#二の字点、1−2−22]はそれでは律義《りちぎ》過ぎて面白くないから、コケが東西南北の水転《みずてん》にあたるように、雪舟《せっしゅう》くさいものにも眼を遣《や》れば応挙《おうきょ》くさいものにも手を出す、歌麿《うたまろ》がかったものにも色気を出す、大雅堂《たいがどう》や竹田《ちくでん》ばたけにも鍬《くわ》を入れたがる、運が好ければ韓幹《かんかん》の馬でも百円位で買おう気でおり、支那の笑話《しょうわ》にある通り、杜荀鶴《とじゅんかく》の鶴の画なんという変なものをも買わぬと限らぬ勢《いきおい》で、それでも画のみならまだしもの事、彫刻でも漆器でも陶器でも武器でも茶器でもというように気が多い。そういう人※[#二の字点、1−2−22]は甚《はなは》だ少くないが、時に気の毒な目を見るのもそういう人※[#二の字点、1−2−22]で、悪気はなくとも少し慾気《よくけ》が手伝っていると、百貨店で品物を買ったような訳ではない目にも自業自得で出会うのである。中には些《ちと》性《しょう》が悪くて、骨董商の鼻毛を抜いていわゆる掘出物《ほりだしもの》をする気になっている者もある。骨董商はちょっと取片付《とりかたづ》けて澄ましているものだが、それだって何も慈善事業で店を開いている訳ではない、その道に年期を入れて資本を入れて、それで妻子を過《すご》しているのだから、三十円のものは口銭《こうせん》や経費に二十円|遣《や》って五十円で買うつもりでいれば何の間違《まちがい》はないものを、五十円のものを三十円で買う気になっていては世の中がスラリとは行かない。五円のものを三十円で売附けられるようなことも、罷《まか》り間違えば出来ることになる道理だ。それを弥《いや》が上にもアコギな掘出し気《ぎ》で、三円五十銭で乾山《けんざん》の皿を買おうなんぞという図※[#二の字点、1−2−22]《ずうずう》しい料簡を腹の底に持っていたとて、何の、乾也《けん
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