高慢税を出すことが行われ出したが、初めは銀閣金閣の主人みずから税を出していたのだ。まことに殊勝の心がけの人だった。信長《のぶなが》の時になると、もう信長は臣下の手柄勲功を高慢税額に引直《ひきなお》して、いわゆる骨董を有難く頂戴させている。羽柴筑前守《はしばちくぜんのかみ》なぞも戦《いくさ》をして手柄を立てる、その勲功の報酬の一部として茶器を頂戴している。つまり五万両なら五万両に相当する勲功を立てた時に、五万両の代りに茶器を戴いているのである。その骨董に当時五万両の価値があれば、そういう骨董を頂戴したのはつまり筑前守は五万両の高慢税を出して喜んでそれを買ったのと同じことである。秀吉が筑前守時代に数※[#二の字点、1−2−22]の茶器を信長から勲功の賞として貰《もら》ったことを記している手紙を自分の知人が持っている。専門の史家の鑑定に拠《よ》れば疑うべくもないものだ。で、高慢税を払わせる発明者は秀吉ではなくて、信長の方が先輩であると考えらるるのであるが、大《おおい》にその税法を広行したのは秀吉である。秀吉の智謀威力で天下は大分明るくなり安らかになった。東山以来の積勢で茶事は非常に盛んになっ
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