た。茶道にも機運というものでがなあろう、英霊底《えいれいてい》の漢子《かんし》が段※[#二の字点、1−2−22]に出て来た。松永弾正《まつながだんじょう》でも織田信長でも、風流もなきにあらず、余裕もあった人であるから、皆|茶讌《ちゃえん》を喜んだ。しかし大煽《おおあお》りに煽ったのは秀吉であった。奥州武士の伊達政宗《だてまさむね》が罪を堂《どう》ヶ|島《しま》に待つ間にさえ茶事を学んだほど、茶事は行われたのである。勿論《もちろん》秀吉は小田原《おだわら》陣にも茶道宗匠を随《したが》えていたほどである。南方外国や支那から、おもしろい器物を取寄せたり、また古渡《こわたり》の物、在来の物をも珍重したりして、おもしろい、味のあるものを大《おおい》に尊《たっと》んだ。骨董は非常の勢《いきおい》をもって世に尊重され出した。勿論おもしろくないものや、味のないものや、平凡のものを持囃《もてはや》したのではない。人をしてなるほどと首肯点頭《しゅこうてんとう》せしむるに足るだけの骨董を珍重したのである。食色の慾は限りがある、またそれは劣等の慾、牛や豚も通有する慾である。人間はそれだけでは済まぬ。食色の慾が
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