せぬ者とに論なく、衆口嘖※[#二の字点、1−2−22]《しゅうこうさくさく》としていい伝え聞伝えて羨涎《せんせん》を垂れるところのものであった。
 ここに呉門《ごもん》の周丹泉《しゅうたんせん》という人があった。心慧思霊《しんけいしれい》の非常の英物で、美術骨董にかけては先ず天才的の眼も手も有していた人であったが、或時|金※[#「門<昌」、第3水準1−93−51]《きんしょう》から舟に乗り、江右《こうゆう》に往く、道に毘陵《びりょう》を経て、唐太常に拝謁を請い、そして天下有名の彼《か》の定鼎の一覧を需《もと》めた。丹泉の俗物でないことを知って交《まじわ》っていた唐氏は喜んで引見して、そしてその需《もとめ》に応じた。丹泉はしきりに称讃してその鼎をためつすがめつ熟視し、手をもって大《おおい》さを度《はか》ったり、ふところ紙に鼎の紋様を模《うつ》したりして、こういう奇品に面した眼福《がんぷく》を喜び謝したりして帰った。そしてまた舟を出して自分の旅路に上《のぼ》ってしまった。
 それから半歳《はんとし》余り経《たっ》た頃、また周丹泉が唐太常をおとずれた。そして丹泉は意気安閑として、過ぐる日の礼
前へ 次へ
全49ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング