ったのである。
ところが嘉靖《かせい》年間に倭寇《わこう》に荒されて、大富豪だけに孫氏は種※[#二の字点、1−2−22]の点で損害を蒙《こうむ》って、次第※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]に家運が傾いた。で、蓄えていたところの珍貴な品※[#二の字点、1−2−22]を段※[#二の字点、1−2−22]と手放すようになった。鼎は遂に京口《けいこう》の※[#「革+斤」、第3水準1−93−77]尚宝《きしょうほう》の手に渡った。それから毘陵《びりょう》の唐太常凝菴《とうたいじょうぎょうあん》が非常に懇望して、とうとう凝菴の手に入ったが、この凝菴という人は、地位もあり富力もある上に、博雅《はくが》で、鑒識《かんしき》にも長《た》け、勿論学問もあった人だったから、家には非常に多くの優秀な骨董を有していた。しかし孫氏旧蔵の白定窯鼎が来るに及んで、諸《もろもろ》の窯器《ようき》は皆その光輝を失ったほどであった。そこで天下の窯器を論ずる者は、唐氏凝菴の定鼎を以て、海内《かいだい》第一、天下一品とすることに定《き》まってしまった。実際無類絶好の奇宝であり、そして一見した者と一見も
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