がないから割に高いけれども、腹の中に目的があるので、先方のいい値《ね》で買って、わが家へ帰ると直《すぐ》にこの話をした、勿論親父に悦ばれるつもりであった。すると親父は悦ぶどころか大怒《おおおこ》りで、「たわけづらめ、慾に気が急《せ》いて、鐙の左右にも心を附けずに買いおったナ」と罵《ののし》られた。金八も馬鹿じゃなかった。ハッと気が付いて、「しまった。向後《きょうこう》気をつけます、御免なさいまし」と叩頭《おじぎ》したが、それから「片鐙《かたあぶみ》の金八」という渾名《あだな》を付けられたということである。これは、もとより片方しかなかった鐙を、深草で値を付けさせて置いて、捷径《ちかみち》のまわり道をして同じその鐙を京橋の他の店へ埋めて置いて金八に掘出させたのだ。心さえ急かねば謀《はか》られる訳はないが、他人にして遣《や》られぬ前にというのと、なまじ前に熟視《じゅくし》していて、テッキリ同じ物だと思った心の虚《きょ》というものとの二ツから、金八ほどの者も右左を調べることを忘れて、一盃《いっぱい》食わせられたのである。親父はさすがに老功で、後家の鐙を買合《かいあわ》せて大きい利を得る、そんな
前へ
次へ
全49ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング