天子の墓を悪僧が掘って種※[#二の字点、1−2−22]の貴い物を奪い、おまけに骸骨を足蹴《あしげ》にしたので罰《ばち》が当って脚疾《きゃくしつ》になり、その事遂に発覚するに至った読むさえ忌わしい談《はなし》は雑書に見えている。発掘さるるを厭《いと》って曹操《そうそう》は多くの偽塚《にせづか》を造って置いたなどということは、近頃の考証でそうではないと分明したが、王安石《おうあんせき》などさえ偽塚の伝説を信じて詩を作ったりしていたところを見ると、伐墓の事は随分めずらしいことでなかったことが思われる。支那の古俗では、身分のある死者の口中には玉を含ませて葬《ほうむ》ることもあるのだから、酷《ひど》い奴は冢中の宝物《ほうもつ》から、骸骨の口の中の玉まで引《ひっ》ぱり出して奪うことも敢《あえ》てしようとしたこともあろう。※[#「さんずい+維」、第3水準1−87−26]県《いけん》あたりとか聞いたが、今でも百姓が冬の農暇《のうか》になると、鋤鍬《すきくわ》を用意して先達を先に立てて、あちこちの古い墓を捜しまわって、いわゆる掘出し物|※[#「てへん+峠のつくり」、第3水準1−84−76]《かせ》ぎをす
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