ないからだ。
骨董はどう考えてもいろいろの意味で悪いものではない。特《こと》に年寄になったり金持になったりしたものには、骨董でも捻《ひね》くってもらっているのが何より好い。不老若返り薬などを年寄に用いてもらって、若い者の邪魔をさせるなどは悪い洒落《しゃれ》だ。老人には老人相応のオモチャを当《あて》がって、落《おち》ついて隅の方で高慢の顔をさせて置く方が、天下泰平の御祈祷《ごきとう》になる。小供はセルロイドの玩器《おもちゃ》を持つ、年寄は楽焼《らくやき》の玩器《おもちゃ》を持つ、と小学|読本《とくほん》に書いて置いても差支《さしつかえ》ない位だ。また金持はとかくに金が余って気の毒な運命に囚《とら》えられてるものだから、六朝仏《りくちょうぶつ》印度仏《いんどぶつ》ぐらいでは済度《とくど》されない故、夏殷周《かいんしゅう》の頃の大古物、妲己《だつき》の金盥《かなだらい》に狐の毛が三本着いているのだの、伊尹《いいん》の使った料理鍋、禹《う》の穿《は》いたカナカンジキだのというようなものを素敵に高く買わすべきで、これはこれ有無相通、世間の不公平を除き、社会主義者だの無産者だのというむずかしい神
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