う莫《な》かれ衲子《のうし》の籃《らん》に底無しと、江南《こうなん》の骨董を盛《も》り取って帰る」などという句を引いて講釈されると、そうかとも思われる。江南には銅器が多いからである。しかし骨董は果して古銅から来た語だろうか、聊《いささ》か疑わしい。もし真《しん》に古銅からの音転なら、少しは骨董という語を用いる時に古銅という字が用いられることがありそうなものだのに、汨董だの古董だのという字がわざわざ代用されることがあっても、古銅という字は用いられていない。※[#「櫂のつくり」、第3水準1−90−32]晴江《てきせいこう》は通雅《つうが》を引いて、骨董は唐《とう》の引船《ひきふね》の歌の「得董※[#「糸+乞」、第3水準1−89−89]那耶《とくとうこつなや》、揚州銅器多《ようしゅうどうきおおし》」から出たので、得董の音は骨董二字の原《もと》だ、といっている。得董※[#「糸+乞」、第3水準1−89−89]那耶は、エンヤラヤの様なもので、囃《はや》し言葉である、別に意味もないから、定まった字もないわけである。その説に拠《よ》って考えると、得董または骨董には何の意味もないが、古い船引《ふなひ》き
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