》、名は正賓《せいひん》というものがあった。廷珸と同じ徽州《きしゅう》のもので、親類つづきだなどいっていたが、この男は※[#「てへん+晉」、第3水準1−84−87]紳《しんしん》の間にも遊び、少しは鼎彝《ていい》書画の類をも蓄え、また少しは眼もあって、本業というのではないが、半黒人《はんくろうと》で売ったり買ったりもしようという男だ。こういう男は随分世間にもあるもので、雅《が》のようで俗で、俗のようで物好《ものずき》でもあって、愚のようで怜悧《りこう》で、怜悧のようで畢竟《ひっきょう》は愚のようでもある。不才の才子である。この正賓はいつも廷珸と互《たがい》に所有の骨董を取易《とりか》えごとをしたり、売買《うりかい》の世話をしたりさせたりして、そして面白がっていた。この男が自分の倪雲林《げいうんりん》の山水《さんすい》一|幅《ぷく》、すばらしい上出来なのを廷珸に託して売ってもらおうとしていた。価は百二十金で、ちょっとはないほどのものだった。で、廷珸の手へ託しては置いたが、金高《かねだか》ものでもあり、口が遠くて長くなる間に、どんな事が起らぬとも限らぬと思ったので、そこでなかなかウッカリしておらぬ男なので、その幅の知れないところへ予《あらか》じめ自分の花押《かおう》を記して置いて、勿論廷珸にもその事は秘しておったのである。廷珸はその雲林を見ると素敵に好いので、欲しくなって堪《たま》らなかった。で、上手《じょうず》な贋筆かきに頼んで、すっかりその通りの模本《もほん》をこしらえさせた。正賓が取返しに来た時、米元章流《べいげんしょうりゅう》の巧偸をやらかして、※[#「暮」に「日」に代えて「手」、第3水準1−84−88]本《もほん》の方を渡して知らん顔をきめようというのであった。ところが先方にも荒神様《こうじんさま》が付いていない訳ではなくて、チャント隠し印《じるし》のあることには気が付かなかったのである。こういうイキサツだから何時《いつ》まで経《た》っても売れない。そこで正賓は召使の男を遣《や》って、雲林を取返して来いといい付けた。隠し印のことは無論男に呑込ませたのである。この男の王仏元《おうぶつげん》というのも、平常《いつも》主人らの五分《ごぶ》もすかさないところを見聞《みきき》して知っているので、なかなか賢くなっている奴だった。で、仏元は廷珸のところへ往って、雲林を返して
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