変なものであったろう。しかしこの委曲を世間が知ろうはずはない、九如の家には千金に易《か》えた宝鼎が伝わったのである。九如は老死して、その子がこれを伝えて有《も》っていた。
 王廷珸《おうていご》字《あざな》は越石《えつせき》という者があった。これは片鐙《かたあぶみ》を金八に売りつけたような性質の良くない骨董屋であった。この男が杜九如の家に大した定鼎のあることを知っていた。九如の子は放蕩ものであったので、花柳《かりゅう》の巷《ちまた》に大金を捨てて、家も段※[#二の字点、1−2−22]に悪くなった。そこへ付込《つけこ》んで廷珸は杜生《とせい》に八百金を提供して、そして「御返金にならない場合でも御宅の窯鼎《ようてい》さえ御渡し下されば」ということをいって置いた。杜生はお坊さんで、廷珸の謀《はか》った通りになり、鼎は廷珸の手に落ちてしまった。廷珸は大喜びで、天下一品、価値|万金《ばんきん》なんどと大法螺《おおぼら》を吹立《ふきた》て、かねて好事《こうず》で鳴っている徐六岳《じょりくがく》という大紳《たいしん》に売付けにかかった。徐六岳を最初から廷珸は好い鳥だと狙っていたのであろう。ところが徐はあまり廷珸が狡譎《こうきつ》なのを悪《にく》んで、横を向いてしまった。廷珸はアテがはずれて困ったが仕方がなかった。もとよりヤリクリをして、狡辛《こすから》く世を送っているものだから、嵌《は》め込む目的《あて》がない時は質《しち》に入れたり、色気の見える客が出た時は急に質受けしたり、十余年の間というものは、まるで碁《ご》を打つようなカラクリをしていたその間に、同じような族類系統の肖《に》たものをいろいろ求めて、どうかして甘《あま》い汁を啜《すす》ろうとしていた。その中《うち》に泰興《たいこう》の季因是《きいんぜ》という、相当の位地のある者が廷珸に引《ひっ》かかった。
 季因是もかねて唐家の定窯鼎の事を耳にしていた。勿論見た事もなければ、詳しい談《はなし》を聞いていたのでもない。ただその名に憧れて、大した名物だということを知っていたに過ぎない。廷珸は因是の甘いお客だということを見抜いて、「これがその宝器でございまして、これこれの訳で出たものでございまする」と宜《い》い加減な伝来のいきさつを談《はな》して、一つの窯鼎を売りつけた。それも自分が杜生から得た物を売ったのならまだしもであって、贋
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