しかし君兪の方では困ることであった。何故《なぜ》といえば持って行かれたのが真物ではないからである。君兪は最初は気位の高いところから、町人の腹ッぷくれなんぞ何だという位のことで贋物を真顔《まがお》で視せたのであるが、元来が人の悪い人でも何でもなく温厚の人なので、欺いたようになったまま済ませて置くことは出来ぬと思った。そこで門下の士を遣って、九如に告げさせた。「君が取って行ったものは実は贋鼎である。真の定鼎はまだ此方《このほう》に蔵してあるので、それは太常公の戒《いましめ》に遵《したが》って軽※[#二の字点、1−2−22]《かろがろ》しく人に示さぬことになっているから御視《おみ》せ申さなかったのである。しかるに君が既に千金を捐《す》てて贋品を有《も》っているということになると、君は知らなくても自分は心に愧《は》じぬという訳にはゆかぬではないか。どうかあの鼎を還《かえ》して下さい、千金は無論御返しするから」と理解させたのである。ところが世間に得てあるところの例で、品物を売る前には金《かね》が貴く思えて品物を手放すが、品物を手放してしまうとその物のないのが淋しくなり、それに未練が出て取返したくなるものである。杜九如の方ではテッキリそれだと思ったから、贋物だったなぞというのは口実だと考えて、約束|変改《へんがい》をしたいのが本心だと見た。そこで、「どういたしまして。あの様な贋物があるものではございますまい。仮令《たとい》贋物にしましたところで、手前の方では結構でございます、頂戴致して置きまして後悔はございません」とやり返した。「そんなにこちらの言葉を御信用がないならば、二つの鼎を列《なら》べて御覧になったらば如何《いかが》です」と一方はいったが、それでも一方は信疑|相半《あいなかば》して、「当方はどうしても頂戴して置きます」と意地張《いじば》った。そこで唐君兪は遂に真鼎を出して、贋鼎に比べて視せた。双方とも立派なものではあるが、比べて視ると、神彩霊威《しんさいれいい》、もとより真物は世間に二ツとあるべきでないところを見《あら》わした。しかし杜九如も前言の手前、如何《どう》ともしようとはいわなかった。つまり模品《もひん》だということを承知しただけに止《とど》まって、返しはしなかった。九如のその時の心の中《うち》は傍《はた》からはなかなか面白く感ぜられるが、当人に取っては随分
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