がないから割に高いけれども、腹の中に目的があるので、先方のいい値《ね》で買って、わが家へ帰ると直《すぐ》にこの話をした、勿論親父に悦ばれるつもりであった。すると親父は悦ぶどころか大怒《おおおこ》りで、「たわけづらめ、慾に気が急《せ》いて、鐙の左右にも心を附けずに買いおったナ」と罵《ののし》られた。金八も馬鹿じゃなかった。ハッと気が付いて、「しまった。向後《きょうこう》気をつけます、御免なさいまし」と叩頭《おじぎ》したが、それから「片鐙《かたあぶみ》の金八」という渾名《あだな》を付けられたということである。これは、もとより片方しかなかった鐙を、深草で値を付けさせて置いて、捷径《ちかみち》のまわり道をして同じその鐙を京橋の他の店へ埋めて置いて金八に掘出させたのだ。心さえ急かねば謀《はか》られる訳はないが、他人にして遣《や》られぬ前にというのと、なまじ前に熟視《じゅくし》していて、テッキリ同じ物だと思った心の虚《きょ》というものとの二ツから、金八ほどの者も右左を調べることを忘れて、一盃《いっぱい》食わせられたのである。親父はさすがに老功で、後家の鐙を買合《かいあわ》せて大きい利を得る、そんな甘《うま》い事があるものではないというところに勘《かん》を付けて、直《すぐ》に右左の調べに及ばなかったナと、紙燭《ししょく》をさし出して慾心の黒闇《くらやみ》を破ったところは親父だけあったのである。勿論深草を尋ねても鐙はなくって、片鐙の浮名《うきな》だけが金八の利得になったのである。昔と今とは違うが、今だって信州と名古屋とか、東京と北京《ペキン》とかの間でこの手で謀られたなら、慾気満※[#二の字点、1−2−22]《よくけまんまん》の者は一服《いっぷく》頂戴せぬとは限るまい。片鎧の金八はちょっとおもしろい談《はなし》だ。
も一ツ古い談《はなし》をしようか、これは明末《みんまつ》の人の雑筆に出ているので、その大分に複雑で、そしてその談中に出て来る骨董好きの人※[#二の字点、1−2−22]や骨董屋の種※[#二の字点、1−2−22]の性格|風※[#「蚌のつくり」、第3水準1−14−6]《ふうぼう》がおのずと現われて、かつまた高貴の品物に搦《から》む愛着や慾念の表裏が如何様《いかよう》に深刻で険危なものであるということを語っている点で甚だ面白いと感ずるのみならず、骨董というものについて一種の淡
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