ほどに用いられた人もなく、また利休ほどに一世の趣味を動かして向上進歩せしめた人もない。利休は実に天仙《てんせん》の才である。自分なぞはいわゆる茶の湯者流の儀礼などは塵《ちり》ばかりも知らぬ者であるけれども、利休がわが邦《くに》の趣味の世界に与えた恩沢は今に至《いたっ》てなお存して、自分らにも加被《かひ》していることを感じているものである。かほどの利休を秀吉が用いたのは実にさすがに秀吉である。利休は当時において言わず語らずの間に高慢税査定者とされたのである。
利休が佳《か》なりとした物を世人は佳なりとした。利休がおもしろいとし、貴しとした物を、世人はおもしろいとし、貴しとした。それは利休に一毫《いちごう》のウソもなくて、利休の佳とし、おもしろいとし、貴しとした物は、真に佳なるもの、真におもしろい物、真に貴い物であったからである。利休の指点したものは、それが塊然《かいぜん》たる一陶器であっても一度その指点を経《ふ》るや金玉ただならざる物となったのである。勿論利休を幇《たす》けて当時の趣味の世界を進歩させた諸星の働きもあったには相違ないが、一代の宗匠として利休は恐ろしき威力を有して、諸星を引率し、世間をして追随させたのである。それは利休のウソのない、秀霊の趣味感から成立ったことで、何らその間《かん》にイヤな事もない、利休が佳とし面白しとし貴しとした物は、長《とこし》えに真に佳であり面白くあり貴くある物であるのであるが、しかしまた一面には当時の最高有力者たる秀吉が利休を用い利休を尊《たっと》み利休を殆んど神聖なるものとしたのが利休背後の大光※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《だいこうえん》だった事も争えない。で、利休の指の指した者は頑鉄《がんてつ》も黄金《おうごん》となったのである。点鉄成金は仙術の事だが、利休は実に霊術を有する天仙の臨凡《りんぼん》したのであったのである。一世は利休に追随したのである。人※[#二の字点、1−2−22]は争って利休の貴しとした物を貴しとした。これを得る喜悦、これを得る高慢のために高慢税を納めることを敢《あえ》てしたのである、その高慢税の額は間接に皆利休の査定するところであったのである。自身はそんな卑役《ひやく》を取るつもりはなかったろうが、自然の勢《いきおい》で自分も知らぬ間に何時《いつ》かそういう役廻りをさせられるようにな
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