ると得たりかしこで引き受けては、上人様にも恥かしく第一源太がせっかく磨《みが》いた侠気《おとこ》もそこで廃《すた》ってしまうし、汝はもとより虻蜂《あぶはち》取らず、知恵のないにもほどのあるもの、そしては二人が何よかろう、さあそれゆえに美しく二人で仕事をしょうというに、少しは気まずいところがあってもそれはお互い、汝が不足なほどにこっちにも面白くないのあるは知れきったことなれば、双方|忍耐《がまん》しあうとして忍耐のできぬわけはないはず、何もわざわざ骨を折って汝が馬鹿になってしまい、幾日の心配を煙と消《き》やし天晴れな手腕《うで》を寝せ殺しにするにも当らない、のう十兵衛、我の云うのが腑に落ちたら思案をがらりとし変えてくれ、源太は無理は云わぬつもりだ、これさなぜ黙って居る、不足か不承知か、承知してはくれないか、ええ我の了見をまだ呑み込んではくれないか、十兵衛、あんまり情ないではないか、何とか云うてくれ、不承知か不承知か、ええ情ない、黙って居られてはわからない、我の云うのが不道理か、それとも不足で腹立ててか、と義には強くて情には弱く意地も立つれば親切も飽くまで徹《とお》す江戸ッ子腹の、源太は柔和《やさし》く問いかくれば、聞き居るお浪は嬉しさの骨身に浸みて、親方様ああありがとうござりますると口には出さねど、舌よりも真実《まこと》を語る涙をば溢《あふ》らす眼《まなこ》に、返辞せぬ夫の方を気遣《きづか》いて、見れば男は露一厘身動きなさず無言にて思案の頭《こうべ》重く低《た》れ、ぽろりぽろりと膝の上に散らす涙珠《なみだ》の零《お》ちて声あり。
 源太も今は無言となりしばらくひとり考えしが、十兵衛汝はまだわからぬか、それとも不足とおもうのか、なるほどせっかく望んだことを二人でするは口惜しかろ、しかも源太を心《しん》にして副《そえ》になるのは口惜しかろ、ええ負けてやれこうしてやろう、源太は副になってもよい汝を心に立てるほどに、さあさあ清く承知して二人でしょうと合点せい、と己《おの》が望みは無理に折り、思いきってぞ云い放つ。とッとんでもない親方様、たとえ十兵衛気が狂えばとてどうしてそうはできますものぞ、もったいない、とあわてて云うに、そうなら我の異見につくか、とただ一言に返されて、それは、と窮《つま》るをまた追っかけ、汝を心に立てようか乃至《ないし》それでも不足か、と烈《はげ》しく突かれて度を失う傍《そば》にて女房が気もわくせき、親方様の御異見になぜまあ早く付かれぬ、と責むるがごとく恨みわび、言葉そぞろに勧むれば十兵衛ついに絶体絶命、下げたる頭《こうべ》を徐《しず》かに上げ円《つぶら》の眼《まなこ》を剥《む》き出して、一ツの仕事を二人でするは、よしや十兵衛心になっても副になっても、厭なりゃどうしてもできませぬ、親方一人でお建てなされ、私は馬鹿で終りまする、と皆まで云わせず源太は怒って、これほど事を分けて云う我の親切《なさけ》を無にしてもか。はい、ありがとうはござりまするが、虚言《うそ》は申せず、厭なりゃできませぬ。汝《おのれ》よく云った、源太の言葉にどうでもつかぬか。是非ないことでござります。やあ覚えていよこののっそりめ、他《ひと》の情の分らぬ奴、そのようのこと云えた義理か、よしよし汝に口は利かぬ、一生|溝《どぶ》でもいじって暮せ、五重塔は気の毒ながら汝に指もささせまい、源太一人で立派に建てる、ならば手柄に批点《てん》でも打て。

     其十六

 えい、ありがとうござります、滅法界に酔いました、もう飲《いけ》やせぬ、と空辞誼《そらじぎ》はうるさいほどしながら、猪口《ちょく》もつ手を後へは退《ひ》かぬがおかしき上戸《じょうご》の常態《つね》、清吉はや馳走酒《ちそうざけ》に十分酔ったれど遠慮に三分の真面目をとどめて殊勝らしく坐り込み、親方の不在《るす》にこう爛酔《へべ》では済みませぬ、姉御と対酌《さし》では夕暮を躍《おど》るようになってもなりませんからな、アハハむやみに嬉しくなって来ました、もう行きましょう、はめを外《はず》すと親方のお眼玉だ、だがしかし姉御、内の親方には眼玉を貰《もら》っても私《わっち》は嬉しいとおもっています、なにも姉御の前だからとて軽薄を云うではありませぬが、真実《ほんと》に内の親方は茶袋よりもありがたいとおもっています、いつぞやの凌雲院《りょううんいん》の仕事の時も鉄や慶《けい》を対《むこ》うにしてつまらぬことから喧嘩《けんか》を初め、鉄が肩先へ大怪我をさしたその後で鉄が親から泣き込まれ、ああ悪かった気の毒なことをしたと後悔してもこっちも貧的、どうしてやるにもやりようなく、困りきって逃亡《かけおち》とまで思ったところを、黙って親方から療治手当もしてやって下された上、かけら半分|叱言《こごと》らしいことを私に云われず、ただ物和《ものやさ》しく、清や汝《てめえ》喧嘩は時のはずみで仕方はないが気の毒とおもったら謝罪《あやま》っておけ、鉄が親の気持もよかろし汝の寝覚めもよいというものだと心づけて下すったその時は、ああどうしてこんなに仁慈《なさけ》深かろとありがたくてありがたくて私は泣きました、鉄に謝罪るわけはないが親方の一言に堪忍《がまん》して私も謝罪りに行きましたが、それから異《おつ》なものでいつとなく鉄とは仲好しになり、今ではどっちにでもひょっとしたことのあれば骨を拾ってやろうかもらおうかというぐらいの交際《つきあい》になったも皆親方のお蔭《かげ》、それに引き変え茶袋なんぞはむやみに叱言《こごと》を云うばかりで、やれ喧嘩をするな遊興《あそび》をするなとくだらぬことを小うるさく耳の傍《はた》で口説きます、ハハハいやはや話になったものではありませぬ、え、茶袋とは母親《おふくろ》のことです、なに酷《ひど》くはありませぬ茶袋でたくさんです、しかも渋をひいた番茶の方です、あッハハハ、ありがとうござります、もう行きましょう、え、また一本|燗《つ》けたから飲んで行けとおっしゃるのですか、ああありがたい、茶袋だと此方《こち》で一本というところを反対《あべこべ》にもう廃《よ》せと云いますわ、ああ好い心持になりました、歌いたくなりましたな、歌えるかとは情ない、松づくしなぞはあいつに賞《ほ》められたほどで、と罪のないことを云えばお吉も笑いを含んで、そろそろ惚気《のろけ》は恐ろしい、などと調戯《からか》い居るところへ帰って来たりし源太、おおちょうどよい清吉いたか、お吉飲もうぞ、支度させい、清吉今夜は酔い潰《つぶ》れろ、胴魔声の松づくしでも聞いてやろ。や、親方立聞きして居られたな。

     其十七

 清吉酔うてはしまりなくなり、砕けた源太が談話《はなし》ぶり捌《さば》けたお吉が接待《とりなし》ぶりにいつしか遠慮も打ち忘れ、擬《さ》されて辞《いな》まず受けてはつと干《ほ》し酒盞《さかずき》の数重ぬるままに、平常《つね》から可愛らしき紅《あか》ら顔を一層みずみずと、実の熟《い》った丹波|王母珠《ほおずき》ほど紅うして、罪もなき高笑いやら相手もなしの空示威《からりきみ》、朋輩の誰の噂彼の噂、自己《おのれ》が仮声《こわいろ》のどこそこで喝采《やんや》を獲たる自慢、奪《あげ》られぬ奪られるの云い争いの末|何楼《なにや》の獅顔火鉢《しかみひばち》を盗《と》り出さんとして朋友《ともだち》の仙の野郎が大失策《おおしくじり》をした話、五十間で地廻りを擲《なぐ》ったことなど、縁に引かれ図に乗ってそれからそれへと饒舌《しゃべ》り散らすうち、ふとのっそりの噂に火が飛べば、とろりとなりし眼を急に見張って、ぐにゃりとしていし肩を聳《そば》だて、冷とうなった飲みかけの酒を異《おか》しく唇まげながら吸い干し、一体あんな馬鹿野郎を親方の可愛がるというが私《わっち》には頭《てん》からわかりませぬ、仕事といえば馬鹿丁寧で捗《はこ》びは一向つきはせず、柱一本|鴫居《しきい》一ツで嘘をいえば鉋《かんな》を三度も礪《と》ぐような緩慢《のろま》な奴、何を一ツ頼んでも間に合った例《ためし》がなく、赤松の炉縁《ろぶち》一ツに三日の手間を取るというのは、多方ああいう手合だろうと仙が笑ったも無理はありませぬ、それを親方が贔屓《ひいき》にしたので一時は正直のところ、済みませんが私も金《きん》も仙も六も、あんまり親方の腹が大きすぎてそれほどでもないものを買い込み過ぎて居るではないか、念入りばかりで気に入るなら我《おれ》たちもこれから羽目板にも仕上げ鉋《がんな》、のろりのろりとしたたか清めて碁盤肌《ごばんはだ》にでも削ろうかと僻《ひが》みを云ったこともありました、第一あいつは交際《つきあい》知らずで女郎買い一度一所にせず、好闘鶏鍋《しゃもなべ》つつき合ったこともない唐偏朴《とうへんぼく》、いつか大師《だいし》へ一同《みんな》が行く時も、まあ親方の身辺《まわり》について居るものを一人ばかり仲間はずれにするでもないと私が親切に誘ってやったに、我は貧乏で行かれないと云ったきりの挨拶《あいさつ》は、なんと愛想も義理も知らな過ぎるではありませんか、銭がなければ女房《かか》の一枚着を曲げ込んでも交際は交際で立てるが朋友《ともだち》ずく、それもわからない白痴《たわけ》の癖に段々親方の恩を被《き》て、私や金と同じことに今ではどうか一人立ち、しかも憚《はばか》りながら青《あお》っ涕《ぱな》垂《た》らして弁当箱の持運び、木片《こっぱ》を担いでひょろひょろ帰る餓鬼《がき》のころから親方の手についていた私や仙とは違って奴は渡り者、次第を云えば私らより一倍深く親方をありがたい忝《かたじけ》ないと思っていなけりゃならぬはず、親方、姉御、私は悲しくなって来ました、私はもしものことがあれば親方や姉御のためと云や黒煙の煽《あお》りを食っても飛び込むぐらいの了見は持って居るに、畜生ッ、ああ人情《なさけ》ない野郎め、のっそりめ、あいつは火の中へは恩を背負《しょ》っても入りきるまい、ろくな根性はもっていまい、ああ人情ない畜生めだ、と酔いが図らず云い出せし不平の中に潜り込んで、めそめそめそめそ泣き出せば、お吉は夫の顔を見て、例《いつも》の癖が出て来たかと困った風情はしながらも自己の胸にものっそりの憎さがあれば、幾らかは清が言葉を道理《もっとも》と聞く傾きもあるなるべし。
 源太は腹に戸締りのなきほど愚《おろ》かならざれば、猪口《ちょく》を擬《さ》しつけ高笑いし、何を云い出した清吉、寝ぼけるな我の前だわ、三の切を出しても初まらぬぞ、その手で女でも口説きやれ、随分ころりと来るであろう、汝《きさま》が惚《のろ》けた小蝶《こちょう》さまのお部屋ではない、アッハハハと戯言《おどけ》を云えばなお真面目に、木※[#「木+患」、第3水準1−86−5]珠《ずずだま》ほどの涙を払うその手をぺたりと刺身皿《さしみざら》の中につっこみ、しゃくり上げ歔欷《しゃくりあげ》して泣き出し、ああ情ない親方、私を酔漢《よっぱらい》あしらいは情ない、酔ってはいませぬ、小蝶なんぞは飲《た》べませぬ、そういえばあいつの面《つら》がどこかのっそりに似て居るようで口惜しくて情ない、のっそりは憎い奴、親方の対《むこ》うを張って大それた、五重の塔を生意気にも建てようなんとは憎い奴憎い奴、親方が和《やさ》し過ぎるので増長した謀反人め、謀反人も明智《あけち》のようなは道理《もっとも》だと伯龍《はくりゅう》が講釈しましたがあいつのようなは大悪|無道《ぶどう》、親方はいつのっそりの頭を鉄扇で打《ぶ》ちました、いつ蘭丸《らんまる》にのっそりの領地を与《や》ると云いました、私は今にもしもあいつが親方の言葉に甘えて名を列《なら》べて塔を建てれば打捨《うっちゃ》ってはおけませぬ、擲《たた》き殺して狗《いぬ》にくれますこういうように擲き殺して、と明徳利《あきどくり》の横面いきなり打《たた》き飛ばせば、砕片《かけら》は散って皿小鉢|跳《おど》り出すやちんからり。馬鹿野郎め、と親方に大喝されてそのままにぐずりと坐《すわ》りおとなしく居るかと思えば、散らかりし還原海苔《もどしのり》の上に額おしつけはや
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