と駄力《だぢから》ばかりは近江《おうみ》のお兼《かね》、顔は子供の福笑戯《ふくわらい》に眼をつけ歪《ゆが》めた多福面《おかめ》のごとき房州出らしき下婢《おさん》の憤怒、拳《こぶし》を挙げて丁と打ち猿臂《えんぴ》を伸ばして突き飛ばせば、十兵衛|堪《たま》らず汚塵《ほこり》に塗《まみ》れ、はいはい、狐に誑《つま》まれました御免なされ、と云いながら悪口雑言聞き捨てに痛さを忍びて逃げ走り、ようやくわが家に帰りつけば、おおお帰りか、遅いのでどういうことかと案じていました、まあ塵埃《ほこり》まぶれになってどうなされました、と払いにかかるを、構うなと一言、気のなさそうな声で打ち消す。その顔を覗き込む女房《にょうぼ》の真実心配そうなを見て、何か知らず無性に悲しくなってじっと湿《うる》みのさしくる眼《まなこ》、自分で自分を叱るように、ええと図らず声を出し、煙草を捻《ひね》って何気なくもてなすことはもてなすものの言葉もなし。平時《つね》に変れる状態《ありさま》を大方それと推察《すい》してさて慰むる便《すべ》もなく、問うてよきやら問わぬがよきやら心にかかる今日の首尾をも、口には出して尋ね得ぬ女房は胸を痛めつ
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