びなき尊《たっと》き智識に知られしを、これ一生の面目とおもうて空《あだ》に悦《よろこ》びしも真にはかなきしばしの夢、嵐《あらし》の風のそよと吹けば丹誠凝らせしあの塔も倒れやせんと疑わるるとは、ええ腹の立つ、泣きたいような、それほど我《おれ》は腑《ふ》のない奴《やつ》か、恥をも知らぬ奴《やっこ》と見ゆるか、自己《おのれ》がしたる仕事が恥辱《はじ》を受けてものめのめ面《つら》押し拭《ぬぐ》うて自己は生きて居るような男と我は見らるるか、たとえばあの塔倒れた時生きていようか生きたかろうか、ええ口惜しい、腹の立つ、お浪、それほど我が鄙《さも》しかろうか、あゝあゝ生命《いのち》ももういらぬ、わが身体にも愛想の尽きた、この世の中から見放された十兵衛は生きて居るだけ恥辱をかく苦悩《くるしみ》を受ける、ええいっそのこと塔も倒れよ暴風雨もこの上烈しくなれ、少しなりともあの塔に損じのできてくれよかし、空吹く風も地《つち》打つ雨も人間《ひと》ほど我には情《つれ》なからねば、塔|破壊《こわ》されても倒されても悦びこそせめ恨みはせじ、板一枚の吹きめくられ釘《くぎ》一本の抜かるるとも、味気なき世に未練はもたねばもの
前へ 次へ
全143ページ中137ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング