障なく、さて竜伏《いしずえ》はその月の生気の方より右旋《みぎめぐ》りに次第|据《す》え行き五星を祭り、釿初《ちょうなはじ》めの大礼には鍛冶《かじ》の道をば創《はじ》められし天《あま》の目《ま》一箇《ひとつ》の命《みこと》、番匠の道|闢《ひら》かれし手置帆負《ておきほおい》の命《みこと》彦狭知《ひこさち》の命《みこと》より思兼《おもいかね》の命《みこと》天児屋根《あまつこやね》の命《みこと》太玉《ふとだま》の命《みこと》、木の神という句々廼馳《くくのち》の神《かみ》まで七神祭りて、その次の清鉋《きよがんな》の礼も首尾よく済み、東方提頭頼※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]持国天王《とうほうたいとらだじごくてんおう》、西方尾※[#「口+魯」、第4水準2−4−45]叉広目天王《さいほうびろしゃこうもくてんおう》、南方毘留勒叉増長天《なんぽうびるろしゃぞうちょうてん》、北方毘沙門多聞天王《ほっぽうびしゃもんたもんてんおう》、四天にかたどる四方の柱千年万年|動《ゆる》ぐなと祈り定むる柱立式《はしらだて》、天星色星多願《てんせいしきせいたがん》の玉女《ぎょくじょ》三神、貪狼巨門《たんろうきょもん》等北斗の七星を祭りて願う永久安護、順に柱の仮轄《かりくさび》を三ッずつ打って脇司《わきつかさ》に打ち緊《し》めさする十兵衛は、幾干《いくそ》の苦心もここまで運べば垢穢《きたなき》顔《かお》にも光の出るほど喜悦《よろこび》に気の勇み立ち、動きなき下津盤根《しもついわね》の太柱と式にて唱うる古歌さえも、何とはなしにつくづく嬉しく、身を立つる世のためしぞとその下の句を吟ずるにも莞爾《にこにこ》しつつ二たびし、壇に向うて礼拝|恭《つつし》み、拍手《かしわで》の音清く響かし一切成就の祓《はらい》を終るここの光景《さま》には引きかえて、源太が家の物淋《ものさび》しさ。
主人《あるじ》は男の心強く思いを外には現わさねど、お吉は何ほどさばけたりとてさすが女の胸小さく、出入るものに感応寺の塔の地曳きの今日済みたり柱立式昨日済みしと聞くたびごとに忌々《いまいま》しく、嫉妬の火炎《ほむら》衝《つ》き上がりて、汝《おのれ》十兵衛恩知らずめ、良人《うち》の心の広いのをよいことにしてつけ上り、うまうま名を揚げ身を立つるか、よし名の揚《あが》り身の立たばさしずめ礼にも来べきはずを、知らぬ顔して鼻高々とその日その日を送りくさるか、あまりに性質《ひと》のよ過ぎたる良人も良人なら面憎きのっそりめもまたのっそりめと、折にふれては八重縦横に癇癪《かんしゃく》の虫|跳《は》ね廻らし、自己《おの》が小鬢《こびん》の後れ毛上げても、ええ焦《じ》れったいと罪のなき髪を掻《か》きむしり、一文|貰《もら》いに乞食が来ても甲張り声に酷《むご》く謝絶《ことわ》りなどしけるが、ある日源太が不在《るす》のところへ心易き医者|道益《どうえき》という饒舌《おしゃべり》坊主遊びに来たりて、四方八方《よもやま》の話の末、ある人に連れられてこのあいだ蓬莱屋へまいりましたが、お伝という女からききました一分始終、いやどうも此方《こち》の棟梁は違ったもの、えらいもの、男児《おとこ》はそうありたいと感服いたしました、とお世辞半分何の気なしに云い出でし詞《ことば》を、手繰《たぐ》ってその夜の仔細《しさい》をきけば、知らずにいてさえ口惜しきに知っては重々憎き十兵衛、お吉いよいよ腹を立ちぬ。
其二十四
清吉|汝《そなた》は腑甲斐《ふがい》ない、意地も察しもない男、なぜ私には打ち明けてこないだの夜の始末をば今まで話してくれなかった、私に聞かして気の毒と異《おつ》に遠慮をしたものか、あまりといえば狭隘《けち》な根性、よしや仔細を聴いたとてまさか私が狼狽《うろた》えまわり動転するようなことはせぬに、女と軽《かろ》しめて何事も知らせずにおき隠し立てしておく良人《うちのひと》の了簡はともかくも、汝たちまで私を聾《つんぼ》に盲目《めくら》にして済まして居るとはあまりな仕打ち、また親方の腹の中がみすみす知れていながらに平気の平左で酒に浮かれ、女郎買いの供するばかりが男の能でもあるまいに、長閑気《のんき》でこうして遊びに来るとは、清吉|汝《おまえ》もおめでたいの、平生《いつも》は不在《るす》でも飲ませるところだが今日は私は関《かま》えない、海苔《のり》一枚焼いてやるも厭ならくだらぬ世間咄《せけんばな》しの相手するも虫が嫌う、飲みたくば勝手に台所へ行って呑《の》み口ひねりや、談話《はなし》がしたくば猫《ねこ》でも相手にするがよい、と何も知らぬ清吉、道益が帰りし跡へ偶然《ふと》行き合わせてさんざんにお吉が不機嫌を浴びせかけられ、わけもわからず驚きあきれて、へどもどなしつつだんだんと様子を問えば、自己《おのれ》も知らずに今の今
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