くも一二度ついに三度めで無残至極に齟齬《くいちが》い、いと物静かに言葉を低めて、十兵衛殿、と殿の字を急につけ出し叮嚀《ていねい》に、要らぬという図はしまいましょ、汝《そなた》一人で建つる塔定めて立派にできようが、地震か風のあろう時|壊《こわ》るることはあるまいな、と軽くは云えど深く嘲ける語《ことば》に十兵衛も快よからず、のっそりでも恥辱《はじ》は知っております、と底力味ある楔《くさび》を打てば、なかなか見事な一言じゃ、忘れぬように記臆《おぼ》えていようと、釘《くぎ》をさしつつ恐ろしく睥《にら》みて後は物云わず、やがてたちまち立ち上って、ああとんでもないことを忘れた、十兵衛殿ゆるりと遊んでいてくれ、我は帰らねばならぬこと思い出した、と風のごとくにその座を去り、あれという間に推量勘定、幾金《いくら》か遺してふいと出つ、すぐその足で同じ町のある家が閾《しきい》またぐや否、厭だ厭だ、厭だ厭だ、つまらぬくだらぬ馬鹿馬鹿しい、ぐずぐずせずと酒もて来い、蝋燭《ろうそく》いじってそれが食えるか、鈍痴《どじ》め肴《さかな》で酒が飲めるか、小兼《こかね》春吉《はるきち》お房《ふさ》蝶子《ちょうこ》四の五の云わせず掴んで来い、臑《すね》の達者な若い衆頼も、我家《うち》へ行て清、仙、鉄、政、誰でも彼でもすぐに遊びによこすよう、という片手間にぐいぐい仰飲《あお》る間もなく入り来る女どもに、今晩なぞとは手ぬるいぞ、とまっ向から焦躁《じれ》を吹っかけて、飲め、酒は車懸《くるまがか》り、猪口《ちょく》は巴と廻せ廻せ、お房|外見《みえ》をするな、春婆大人ぶるな、ええお蝶めそれでも血が循環《めぐ》って居るのか頭上《あたま》に鼬花火《いたちはなび》載せて火をつくるぞ、さあ歌え、じゃんじゃんとやれ、小兼め気持のいい声を出す、あぐり踊るか、かぐりもっと跳《は》ねろ、やあ清吉来たか鉄も来たか、なんでもいい滅茶滅茶に騒げ、我に嬉しいことがあるのだ、無礼講にやれやれ、と大将無法の元気なれば、後れて来たる仙も政も煙《けぶ》に巻かれて浮かれたち、天井抜きょうが根太抜きょうが抜けたら此方《こち》のお手のものと、飛ぶやら舞うやら唸《うな》るやら、潮来出島《いたこでじま》もしおらしからず、甚句に鬨《とき》の声を湧かし、かっぽれに滑《すべ》って転倒《ころ》び、手品《てずま》の太鼓を杯洗で鉄がたたけば、清吉はお房が傍に寝転んで銀釵《かんざし》にお前そのよに酢ばかり飲んでを稽古する馬鹿騒ぎの中で、一了簡あり顔の政が木遣《きやり》を丸めたような声しながら、北に峨々《がが》たる青山《せいざん》をと異《おつ》なことを吐き出す勝手|三昧《ざんまい》、やっちゃもっちゃの末は拳《けん》も下卑て、乳房《ちち》の脹《ふく》れた奴が臍の下に紙幕張るほどになれば、さあもうここは切り上げてと源太が一言、それから先はどこへやら。
其二十三
蒼※[#「顫のへん+鳥」、第3水準1−94−72]《たか》の飛ぶ時よそ視《み》はなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも穿《うが》ち風にも逆《むか》って目ざす獲物の、咽喉仏《のどぼとけ》把攫《ひっつか》までは合点せざるものなり。十兵衛いよいよ五重塔の工事《しごと》するに定まってより寝ても起きてもそれ三昧《ざんまい》、朝の飯|喫《く》うにも心の中では塔を噬《か》み、夜の夢結ぶにも魂魄《たましい》は九輪の頂を繞《めぐ》るほどなれば、まして仕事にかかっては妻あることも忘れ果て児《こ》のあることも忘れ果て、昨日《きのう》の我を念頭に浮べもせず明日《あす》の我を想いもなさず、ただ一[#(ト)]釿《ちょうな》ふりあげて木を伐《き》るときは満身の力をそれに籠《こ》め、一枚の図をひく時には一心の誠をそれに注ぎ、五尺の身体こそ犬鳴き鶏《とり》歌い権兵衛が家に吉慶《よろこび》あれば木工右衛門《もくえもん》がところに悲哀《かなしみ》ある俗世に在《あ》りもすれ、精神《こころ》は紛たる因縁に奪《と》られで必死とばかり勤め励めば、前《さき》の夜源太に面白からず思われしことの気にかからぬにはあらざれど、日ごろののっそりますます長じて、はやいずくにか風吹きたりしぐらいに自然軽う取り做《な》し、やがてはとんと打ち忘れ、ただただ仕事にのみかかりしは愚かなるだけ情に鈍くて、一条道《ひとすじみち》より外へは駈《か》けぬ老牛《おいうし》の痴に似たりけり。
金箔《きんぱく》銀箔|瑠璃《るり》真珠|水精《すいしょう》以上合わせて五宝、丁子《ちょうじ》沈香《じんこう》白膠《はくきょう》薫陸《くんろく》白檀《びゃくだん》以上合わせて五香、そのほか五薬五穀まで備えて大土祖神《おおつちみおやのかみ》埴山彦神《はにやまひこのかみ》埴山媛神《はにやまひめのかみ》あらゆる鎮護の神々を祭る地鎮の式もすみ、地曳《じび》き土取り故
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