ぎるが腹立たしく、四方八方どこからどこまで考えて、ここを推せばそこに襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1−91−87]《ひずみ》が出る、あすこを立てればここに無理があると、まあ我の知恵分別ありたけ尽して我のためばかり籌《はか》るではなく云うたことを、むげに云い消されたが忌々《いまいま》しくて忌々しくて随分|堪忍《がまん》もしかねたが、さていよいよ了見を定《き》めて上人様のお眼にかかり所存を申し上げて見れば、よいよいと仰せられたただの一言に雲霧《もやもや》はもうなくなって、清《すず》しい風が大空を吹いて居るような心持になったわ、昨日《きのう》はまた上人様からわざわざのお招きで、行って見たれば我を御賞美のお言葉数々のその上、いよいよ十兵衛に普請一切申しつけたが蔭《かげ》になって助けてやれ、皆|汝《そなた》の善根福種になるのじゃ、十兵衛が手には職人もあるまい、彼《あれ》がいよいよ取りかかる日には何人《いくら》も傭《やと》うその中《うち》に汝が手下の者も交じろう、必ず猜忌邪曲《そねみひがみ》など起さぬようにそれらには汝からよく云い含めてやるがよいとの細かいお諭《さと》し、何から何まで見透しでお慈悲深い上人様のありがたさにつくづく我折って帰って来たが、十兵衛、過日《こないだ》の云い過ごしは堪忍《かに》してくれ、こうした我の心意気がわかってくれたら従来《いままで》通り浄《きよ》く睦《むつ》まじく交際《つきあ》ってもらおう、一切がこう定まって見れば何と思った彼《か》と思ったは皆夢の中の物詮議、後に遺《のこ》して面倒こそあれ益《やく》ないこと、この不忍の池水にさらりと流して我も忘りょう、十兵衛|汝《きさま》も忘れてくれ、木材《きしな》の引合い、鳶人足《とび》への渡りなんど、まだ顔を売り込んでいぬ汝にはちょっとしにくかろうが、それらには我の顔も貸そうし手も貸そう、丸丁《まるちょう》、山六《やまろく》、遠州屋《えんしゅうや》、いい問屋《といや》は皆|馴染《なじみ》でのうては先方《さき》がこっちを呑んでならねば、万事|歯痒《はがゆ》いことのないよう我を自由に出しに使え、め組の頭《かしら》の鋭次《えいじ》というは短気なは汝も知って居るであろうが、骨は黒鉄《くろがね》、性根玉は憚《はばか》りながら火の玉だと平常《ふだん》云うだけ、さてじっくり頼めばぐっと引き受け一寸|退《の》かぬ頼もしい男、塔は何より地行《じぎょう》が大事、空風火水の四ツを受ける地盤の固めをあれにさせれば、火の玉鋭次が根性だけでも不動が台座の岩より堅く基礎《いしずえ》しかと据《す》えさすると諸肌《もろはだ》ぬいでしてくるるは必定《ひつじょう》、あれにもやがて紹介《ひきあわ》しょう、もうこうなった暁には源太が望みはただ一ツ、天晴《あっぱ》れ十兵衛汝がよくしでかしさえすりゃそれでよいのじゃ、ただただ塔さえよくできればそれに越した嬉しいことはない、かりそめにも百年千年末世に残って云わば我たちの弟子筋の奴らが眼にも入るものに、へまがあっては悲しかろうではないか、情ないではなかろうか、源太十兵衛時代にはこんなくだらぬ建物に泣いたり笑ったりしたそうなと云われる日には、なあ十兵衛、二人が舎利《しゃり》も魂魄《たましい》も粉灰《こばい》にされて消し飛ばさるるわ、拙《へた》な細工で世に出ぬは恥もかえって少ないが、遺したものを弟子めらに笑わる日には馬鹿|親父《おやじ》が息子に異見さるると同じく、親に異見を食う子より何段増して恥かしかろ、生き磔刑《はりつけ》より死んだ後塩漬の上磔刑になるような目にあってはならぬ、初めは我もこれほどに深くも思い寄らなんだが、汝が我の対面《むこう》にたったその意気張りから、十兵衛に塔建てさせ見よ源太に劣りはすまいというか、源太が建てて見せくりょう何十兵衛に劣ろうぞと、腹の底には木を鑚《き》って出した火で観《み》る先の先、我意はなんにもなくなったただよくできてくれさえすれば汝も名誉《ほまれ》我も悦び、今日はこれだけ云いたいばかり、ああ十兵衛その大きな眼を湿《うる》ませて聴《き》いてくれたか嬉しいやい、と磨《みが》いて礪《と》いで礪ぎ出した純粋《きっすい》江戸ッ子粘り気なし、一《ぴん》でなければ六と出る、忿怒《いかり》の裏の温和《やさし》さもあくまで強き源太が言葉に、身動《みじろ》ぎさえせで聞きいし十兵衛、何も云わず畳に食いつき、親方、堪忍《かに》して下され口がきけませぬ、十兵衛には口がきけませぬ、こ、こ、この通り、ああありがとうござりまする、と愚かしくもまた真実《まこと》にただ平伏《ひれふ》して泣きいたり。

     其二十二

 言葉はなくても真情《まこと》は見ゆる十兵衛が挙動《そぶり》に源太は悦び、春風|湖《みず》を渡って霞《かすみ》日に蒸すともいうべき温和の景色を面にあ
前へ 次へ
全36ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング