和《ものやさ》しく、清や汝《てめえ》喧嘩は時のはずみで仕方はないが気の毒とおもったら謝罪《あやま》っておけ、鉄が親の気持もよかろし汝の寝覚めもよいというものだと心づけて下すったその時は、ああどうしてこんなに仁慈《なさけ》深かろとありがたくてありがたくて私は泣きました、鉄に謝罪るわけはないが親方の一言に堪忍《がまん》して私も謝罪りに行きましたが、それから異《おつ》なものでいつとなく鉄とは仲好しになり、今ではどっちにでもひょっとしたことのあれば骨を拾ってやろうかもらおうかというぐらいの交際《つきあい》になったも皆親方のお蔭《かげ》、それに引き変え茶袋なんぞはむやみに叱言《こごと》を云うばかりで、やれ喧嘩をするな遊興《あそび》をするなとくだらぬことを小うるさく耳の傍《はた》で口説きます、ハハハいやはや話になったものではありませぬ、え、茶袋とは母親《おふくろ》のことです、なに酷《ひど》くはありませぬ茶袋でたくさんです、しかも渋をひいた番茶の方です、あッハハハ、ありがとうござります、もう行きましょう、え、また一本|燗《つ》けたから飲んで行けとおっしゃるのですか、ああありがたい、茶袋だと此方《こち》で一本というところを反対《あべこべ》にもう廃《よ》せと云いますわ、ああ好い心持になりました、歌いたくなりましたな、歌えるかとは情ない、松づくしなぞはあいつに賞《ほ》められたほどで、と罪のないことを云えばお吉も笑いを含んで、そろそろ惚気《のろけ》は恐ろしい、などと調戯《からか》い居るところへ帰って来たりし源太、おおちょうどよい清吉いたか、お吉飲もうぞ、支度させい、清吉今夜は酔い潰《つぶ》れろ、胴魔声の松づくしでも聞いてやろ。や、親方立聞きして居られたな。

     其十七

 清吉酔うてはしまりなくなり、砕けた源太が談話《はなし》ぶり捌《さば》けたお吉が接待《とりなし》ぶりにいつしか遠慮も打ち忘れ、擬《さ》されて辞《いな》まず受けてはつと干《ほ》し酒盞《さかずき》の数重ぬるままに、平常《つね》から可愛らしき紅《あか》ら顔を一層みずみずと、実の熟《い》った丹波|王母珠《ほおずき》ほど紅うして、罪もなき高笑いやら相手もなしの空示威《からりきみ》、朋輩の誰の噂彼の噂、自己《おのれ》が仮声《こわいろ》のどこそこで喝采《やんや》を獲たる自慢、奪《あげ》られぬ奪られるの云い争いの末|何楼《なにや》の獅顔火鉢《しかみひばち》を盗《と》り出さんとして朋友《ともだち》の仙の野郎が大失策《おおしくじり》をした話、五十間で地廻りを擲《なぐ》ったことなど、縁に引かれ図に乗ってそれからそれへと饒舌《しゃべ》り散らすうち、ふとのっそりの噂に火が飛べば、とろりとなりし眼を急に見張って、ぐにゃりとしていし肩を聳《そば》だて、冷とうなった飲みかけの酒を異《おか》しく唇まげながら吸い干し、一体あんな馬鹿野郎を親方の可愛がるというが私《わっち》には頭《てん》からわかりませぬ、仕事といえば馬鹿丁寧で捗《はこ》びは一向つきはせず、柱一本|鴫居《しきい》一ツで嘘をいえば鉋《かんな》を三度も礪《と》ぐような緩慢《のろま》な奴、何を一ツ頼んでも間に合った例《ためし》がなく、赤松の炉縁《ろぶち》一ツに三日の手間を取るというのは、多方ああいう手合だろうと仙が笑ったも無理はありませぬ、それを親方が贔屓《ひいき》にしたので一時は正直のところ、済みませんが私も金《きん》も仙も六も、あんまり親方の腹が大きすぎてそれほどでもないものを買い込み過ぎて居るではないか、念入りばかりで気に入るなら我《おれ》たちもこれから羽目板にも仕上げ鉋《がんな》、のろりのろりとしたたか清めて碁盤肌《ごばんはだ》にでも削ろうかと僻《ひが》みを云ったこともありました、第一あいつは交際《つきあい》知らずで女郎買い一度一所にせず、好闘鶏鍋《しゃもなべ》つつき合ったこともない唐偏朴《とうへんぼく》、いつか大師《だいし》へ一同《みんな》が行く時も、まあ親方の身辺《まわり》について居るものを一人ばかり仲間はずれにするでもないと私が親切に誘ってやったに、我は貧乏で行かれないと云ったきりの挨拶《あいさつ》は、なんと愛想も義理も知らな過ぎるではありませんか、銭がなければ女房《かか》の一枚着を曲げ込んでも交際は交際で立てるが朋友《ともだち》ずく、それもわからない白痴《たわけ》の癖に段々親方の恩を被《き》て、私や金と同じことに今ではどうか一人立ち、しかも憚《はばか》りながら青《あお》っ涕《ぱな》垂《た》らして弁当箱の持運び、木片《こっぱ》を担いでひょろひょろ帰る餓鬼《がき》のころから親方の手についていた私や仙とは違って奴は渡り者、次第を云えば私らより一倍深く親方をありがたい忝《かたじけ》ないと思っていなけりゃならぬはず、親方、姉御、私は悲しくなって来
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