、つい気にかかる仕事の話しゆえ思わず様子の聞きたくて、よけいなことも胸の狭いだけに饒舌《しゃべ》ったわけ、と自分が真実|籠《こ》めし言葉をわざとごくごく軽うしてしもうて、どこまでも夫の分別に従うよう表面《うわべ》を粧うも、幾らか夫の腹の底にある煩悶《もしゃくしゃ》を殺《そ》いでやりたさよりの真実《まこと》。源太もこれに角張りかかった顔をやわらげ、何ごとも皆|天運《まわりあわせ》じゃ、此方《こち》の了見さえ温順《すなお》に和《やさ》しくもっていたならまた好いことの廻って来ようと、こうおもって見ればのっそりに半口やるもかえって好い心持、世間は気次第で忌々《いまいま》しくも面白くもなるものゆえ、できるだけは卑劣《けち》な※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《さび》を根性に着けず瀟洒《あっさり》と世を奇麗に渡りさえすればそれで好いわ、と云いさしてぐいと仰飲《あお》ぎ、後は芝居の噂やら弟子どもが行状《みもち》の噂、真に罪なき雑話を下物《さかな》に酒も過ぎぬほど心よく飲んで、下卑《げび》た体裁《さま》ではあれどとり[#「とり」に傍点]膳|睦《むつ》まじく飯を喫了《おわ》り、多方《おおかた》もう十兵衛が来そうなものと何事もせず待ちかくるに、時は空《むな》しく経過《たっ》て障子の日※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]《ひかげ》一尺動けどなお見えず、二尺も移れどなお見えず。
是非|先方《むこう》より頭《かしら》を低くし身を縮《すぼ》めて此方《こち》へ相談に来たり、何とぞ半分なりと仕事をわけて下されと、今日の上人様のお慈愛《なさけ》深きお言葉を頼りに泣きついても頼みをかけべきに、何としてこうは遅きや、思いあきらめて望みを捨て、もはや相談にも及ばずとて独りわが家に燻《くすぼ》り居るか、それともまた此方より行くを待って居るか、もしも此方の行くを待って居るということならばあまり増長した了見なれど、まさかにそのような高慢気も出《いだ》すまじ、例ののっそりで悠長《ゆうちょう》に構えて居るだけのことならんが、さても気の長い男め迂濶《うかつ》にもほどのあれと、煙草ばかりいたずらに喫《ふ》かしいて、待つには短き日も随分長かりしに、それさえ暮れて群烏《むらがらす》塒《ねぐら》に帰るころとなれば、さすがに心おもしろからずようやく癇癪の起り起りて耐《こら》えきれずなりし潮先、据《す》えられし晩食《ゆうめし》の膳に対《むか》うとそのまま云いわけばかりに箸をつけて茶さえゆるりとは飲まず、お吉、十兵衛めがところにちょっと行て来る、行違いになって不在《るす》へ来《こ》ば待たしておけ、と云う言葉さえとげとげしく怒りを含んで立ち出でかかれば、気にはかかれど何とせん方もなく、女房は送って出したる後にて、ただ溜息《ためいき》をするのみなり。
其十三
渋って開《あ》きかぬる雨戸にひとしお源太は癇癪の火の手を亢《たかぶ》らせつつ、力まかせにがちがち引き退《の》け、十兵衛|家《うち》にか、と云いさまにつとはいれば、声色《こわいろ》知ったるお浪《なみ》早くもそれと悟って、恩あるその人の敵《むこう》に今は立ち居る十兵衛に連れ添える身の面《おもて》を対《あわ》すこと辛く、女気の繊弱《かよわ》くも胸をどきつかせながら、まあ親方様、とただ一言我知らず云い出したるぎり挨拶《あいさつ》さえどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]して急には二の句の出ざるうち、煤《すす》けし紙に針の孔《あな》、油染みなんど多き行燈《あんどん》の小蔭《こかげ》に悄然《しょんぼり》と坐り込める十兵衛を見かけて源太にずっと通られ、あわてて火鉢の前に請《しょう》ずる機転の遅鈍《まずき》も、正直ばかりで世態《よ》を知悉《のみこ》まぬ姿なるべし。
十兵衛は不束《ふつつか》に一礼して重げに口を開き、明日の朝|参上《あが》ろうとおもうておりました、といえばじろりとその顔下眼に睨《にら》み、わざと泰然《おちつき》たる源太、おお、そういう其方《そち》のつもりであったか、こっちは例の気短ゆえ今しがたまで待っていたが、いつになって汝《そなた》の来るか知れたことではないとして出かけて来ただけ馬鹿であったか、ハハハ、しかし十兵衛、汝は今日の上人様のあのお言葉をなんと聞いたか、両人《ふたり》でよくよく相談して来よと云われた揚句に長者の二人の児のお話し、それでわざわざ相談に来たが汝も大抵分別はもう定《き》めて居るであろう、我《おれ》も随分虫持ちだが悟って見ればあの譬諭《たとえ》の通り、尖《とが》りあうのは互いにつまらぬこと、まんざら敵《かたき》同士でもないに身勝手ばかりは我も云わぬ、つまりは和熟した決定《けつじょう》のところが欲しいゆえに、我欲は充分折って摧《くだ》いて思案を凝らして来たものの、なお汝の了見も腹蔵のないところを聞き
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