たく、その上にまたどうともしようと、我も男児《おとこ》なりゃ汚《きたな》い謀計《たくみ》を腹には持たぬ、真実《ほんと》にこうおもうて来たわ、と言葉をしばしとどめて十兵衛が顔を見るに、俯伏《うつむ》いたままただはい、はいと答うるのみにて、乱鬢《らんびん》の中《うち》に五六本の白髪《しらが》が瞬《またた》く燈火《あかり》の光を受けてちらりちらりと見ゆるばかり。お浪ははや寝し猪《い》の助《すけ》が枕の方につい坐って、呼吸《いき》さえせぬようこれもまた静まりかえり居る淋《さび》しさ。かえって遠くに売りあるく鍋焼|饂飩《うどん》の呼び声の、幽《かす》かに外方《そと》より家《や》の中《うち》に浸みこみ来たるほどなりけり。
 源太はいよいよ気を静め、語気なだらかに説き出《いだ》すは、まあ遠慮もなく外見《みえ》もつくらず我の方から打ち明けようが、なんと十兵衛こうしてはくれぬか、せっかく汝も望みをかけ天晴《あっぱ》れ名誉の仕事をして持ったる腕の光をあらわし、欲徳ではない職人の本望を見事に遂げて、末代に十兵衛という男が意匠《おもいつき》ぶり細工ぶりこれ視《み》て知れと残そうつもりであろうが、察しもつこう我とてもそれは同じこと、さらにあるべき普請ではなし、取り外《はぐ》っては一生にまた出逢うことはおぼつかないなれば、源太は源太で我が意匠ぶり細工ぶりを是非|遺《のこ》したいは、理屈を自分のためにつけて云えば我はまあ感応寺の出入り、汝はなんの縁《ゆかり》もないなり、我は先口、汝は後なり、我は頼まれて設計《つもり》までしたに汝は頼まれはせず、他《ひと》の口から云うたらばまた我は受け負うても相応、汝が身柄《がら》では不相応と誰しも難をするであろう、だとて我が今理屈を味方にするでもない、世間を味方にするでもない、汝が手腕《うで》のありながら不幸せで居るというも知って居る、汝が平素《ふだん》薄命《ふしあわせ》を口へこそ出さね、腹の底ではどのくらい泣いて居るというも知って居る、我を汝の身にしては堪忍《がまん》のできぬほど悲しい一生というも知って居る、それゆえにこそ去年|一昨年《おととし》なんにもならぬことではあるが、まあできるだけの世話はしたつもり、しかし恩に被《き》せるとおもうてくれるな、上人様だとて汝の清潔《きれい》な腹の中をお洞察《みとおし》になったればこそ、汝の薄命《ふしあわせ》を気の毒とおもわれたればこそ今日のようなお諭し、我も汝が欲かなんぞで対岸《むこう》にまわる奴ならば、我《ひと》の仕事に邪魔を入れる猪口才《ちょこざい》な死節野郎《しにぶしやろう》と一釿《ひとちょうな》に脳天|打《ぶ》っ欠かずにはおかぬが、つくづく汝の身を察すればいっそ仕事もくれたいような気のするほど、というて我《おれ》も欲は捨て断《き》れぬ、仕事は真実どうあってもしたいわ、そこで十兵衛、聞いてももらいにくく云うても退《の》けにくい相談じゃが、まあこうじゃ、堪忍して承知してくれ、五重塔は二人で建ちょう、我を主にして汝不足でもあろうが副《そえ》になって力を仮してはくれまいか、不足ではあろうが、まあ厭でもあろうが源太が頼む、聴いてはくれまいか、頼む頼む、頼むのじゃ、黙って居るのは聴いてくれぬか、お浪さんも我《わし》の云うことのわかったならどうぞ口を副《そ》えて聴いてもらっては下さらぬか、と脆《もろ》くも涙になりいる女房にまで頼めば、お、お、親方様、ええありがとうござりまする、どこにこのような御親切の相談かけて下さる方のまたあろうか、なぜお礼をば云われぬか、と左の袖は露時雨《つゆしぐれ》、涙に重くなしながら、夫の膝を右の手で揺り動かしつ掻《か》き口説《くど》けど、先刻《さき》より無言の仏となりし十兵衛何ともなお言わず、再度《ふたたび》三度かきくどけど黙黙《むっくり》として[#「黙黙《むっくり》として」はママ]なお言わざりしが、やがて垂《た》れたる首《こうべ》を抬《もた》げ、どうも十兵衛それは厭でござりまする、と無愛想に放つ一言、吐胸《とむね》をついて驚く女房。なんと、と一声|烈《はげ》しく鋭く、頸首《くびぼね》反らす一二寸、眼に角たててのっそりをまっ向よりして瞰下《みおろ》す源太。

     其十四

 人情の花も失《な》くさず義理の幹もしっかり立てて、普通《なみ》のものにはできざるべき親切の相談を、一方ならぬ実意《じつ》のあればこそ源太のかけてくれしに、いかに伐《き》って抛《な》げ出したような性質《もちまえ》がさする返答なればとて、十兵衛厭でござりまするとはあまりなる挨拶《あいさつ》、他《ひと》の情愛《なさけ》のまるでわからぬ土人形でもこうは云うまじきを、さりとては恨めしいほど没義道《もぎどう》な、口惜しいほど無分別な、どうすればそのように無茶なる夫の了見と、お浪は呆《あき》れもし驚
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