のような砂でできて居る美しい洲《す》のあったれば、長者は興に乗じて一尋《ひとひろ》ばかりの流れを無造作に飛び越え、あなたこなたを見廻せば、洲の後面《うしろ》の方もまた一尋ほどの流れで陸《おか》と隔てられたる別世界、まるで浮世のなまぐさい土地《つち》とは懸絶《かけはな》れた清浄《しょうじょう》の地であったまま独《ひと》り歓び喜んで踊躍《ゆやく》したが、渉《わた》ろうとしても渉り得ない二人の児童《こども》が羨ましがって喚《よ》び叫ぶを可憐《あわれ》に思い、汝《そなた》たちには来ることのできぬ清浄の地であるが、さほどに来たくば渡らしてやるほどに待っていよ、見よ見よわが足下《あしもと》のこの磧《こいし》は一々|蓮華《れんげ》の形状《かたち》をなし居る世に珍しき磧なり、わが眼の前のこの砂は一々五金の光をもてる比類《たぐい》まれなる砂なるぞと説き示せば、二人は遠眼にそれを見ていよいよ焦躁《あせ》り渡ろうとするを、長者は徐《しず》かに制しながら、洪水《おおみず》の時にても根こぎになったるらしき棕櫚《しゅろ》の樹の一尋余りなを架《か》け渡して橋としてやったに、我が先へ汝は後にと兄弟争い鬩《せめ》いだ末、兄は兄だけ力強く弟《おとと》をついに投げ伏せて我意《がい》の勝を得たに誇り高ぶり、急ぎその橋を渡りかけ半途《なかば》にようやく到《いた》りし時、弟は起き上りさま口惜しさに力を籠《こ》めて橋をうごかせば兄はたちまち水に落ち、苦しみ※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いて洲に達せしが、この時弟ははやその橋を難なく渡り超えかくるを見るより兄もその橋の端を一揺り揺り動かせば、もとより丸木の橋なるゆえ弟も堪《たま》らず水に落ち、わずかに長者の立ったるところへ濡《ぬ》れ滴《したた》りて這《は》い上った、その時長者は歎息して、汝たちには何と見ゆる、今汝らが足踏みかけしよりこの洲はたちまち前と異なり、磧は黒く醜くなり沙《すな》は黄ばめる普通《つね》の沙となれり、見よ見よいかにと告げ知らするに二人は驚き、眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りて見れば全く父の言葉に少しも違《たが》わぬ沙《すな》磧《こいし》、ああかかるもの取らんとて可愛き弟を悩ませしか、尊《たっと》き兄を溺《おぼ》らせしかと兄弟ともに慚《は》じ悲しみて、弟の袂《たもと》を兄は絞り兄の衣裾《もすそ》を弟は絞りて互いにいたわり慰めけるが、かの橋をまた引き来たりて洲の後面《うしろ》なる流れに打ちかけ、はやこの洲には用なければなおもあなたに遊び歩かん、汝たちまずこれを渡れと、長者の言葉に兄弟は顔を見合いて先刻《さき》には似ず、兄上先にお渡りなされ、弟よ先に渡るがよいと譲り合いしが、年順なれば兄まず渡るその時に、転《まろ》びやすきを気遣いて弟は端を揺がぬようしかと抑《おさ》ゆる、その次に弟渡れば兄もまた揺がぬように抑えやり、長者は苦なく飛び越えて、三人ともにいと長閑《のどけ》くそぞろに歩むそのうちに、兄が図らず拾いし石を弟が見れば美しき蓮華の形をなせる石、弟が摘《つま》み上げたる砂を兄が覗《のぞ》けば眼も眩《まばゆ》く五金の光を放ちていたるに、兄弟ともども歓喜《よろこ》び楽しみ、互いに得たる幸福《しあわせ》を互いに深く讃歎し合う、その時長者は懐中《ふところ》より真実《まこと》の璧《たま》の蓮華を取り出し兄に与えて、弟にも真実の砂金を袖より出して大切《だいじ》にせよと与えたという、話してしまえば小供|欺《だま》しのようじゃが仏説に虚言《うそ》はない、小児欺しでは決してない、噛みしめて見よ味のある話しではないか、どうじゃ汝たちにも面白いか、老僧には大層面白いが、と軽く云われて深く浸む、譬喩《ひゆ》方便も御胸の中《うち》にもたるる真実《まこと》から。源太十兵衛二人とも顔見合わせて茫然たり。

     其十

 感応寺よりの帰り道、半分は死んだようになって十兵衛、どんつく布子の袖組み合わせ、腕|拱《こまぬ》きつつうかうか歩き、お上人様のああおっしゃったはどちらか一方おとなしく譲れと諭《さと》しの謎々《なぞなぞ》とは、何ほど愚鈍《おろか》な我《おれ》にも知れたが、ああ譲りたくないものじゃ、せっかく丹誠に丹誠凝らして、定めし冷えて寒かろうにお寝《やす》みなされと親切でしてくるる女房《かか》の世話までを、黙っていよよけいなと叱り飛ばして夜の眼も合わさず、工夫に工夫を積み重ね、今度という今度は一世一代、腕一杯の物を建てたら死んでも恨みはないとまで思い込んだに、悲しや上人様の今日のお諭《さと》し、道理には違いないそうもなければならぬことじゃが、これを譲っていつまた五重塔の建つという的《あて》のあるではなし、一生とてもこの十兵衛は世に出ることのならぬ身か、ああ情ない恨めしい、天道
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