を受けております源太様の仕事を奪《と》りたくはおもいませぬが、ああ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源太様はさるる、死んでも立派に名を残さるる、ああ羨ましい羨ましい、大工となって生きている生き甲斐もあらるるというもの、それに引き代えこの十兵衛は、鑿《のみ》手斧《ちょうな》もっては源太様にだとて誰にだとて、打つ墨縄の曲ることはあれ万が一にも後れを取るようなことは必ず必ずないと思えど、年が年中長屋の羽目板《はめ》の繕いやら馬小屋|箱溝《はこどぶ》の数仕事、天道様が知恵というものを我《おれ》には賜《くだ》さらないゆえ仕方がないと諦《あきら》めて諦めても、拙《まず》い奴らが宮を作り堂を受け負い、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを築造《こしら》えたを見るたびごとに、内々自分の不運を泣きますわ、お上人様、時々は口惜しくて技倆《うで》もない癖に知恵ばかり達者な奴が憎くもなりまするわ、お上人様、源太様は羨ましい、知恵も達者なれば手腕《うで》も達者、ああ羨ましい仕事をなさるか、我《おれ》はよ、源太様はよ、情ないこの我《おれ》はよと、羨ましいがつい高じて女房《かか》にも口きかず泣きながら寝ましたその夜のこと、五重塔を汝《きさま》作れ今すぐつくれと怖《おそ》ろしい人にいいつけられ、狼狽《うろた》えて飛び起きさまに道具箱へ手を突っ込んだは半分夢で半分|現《うつつ》、眼が全く覚めて見ますれば指の先を鐔鑿《つばのみ》につっかけて怪我をしながら道具箱につかまって、いつの間にか夜具の中から出ていたつまらなさ、行燈《あんどん》の前につくねんと坐ってああ情ない、つまらないと思いました時のその心持、お上人様、わかりまするか、ええ、わかりまするか、これだけが誰にでも分ってくれれば塔も建てなくてもよいのです、どうせ馬鹿なのっそり[#「のっそり」に傍点]十兵衛は死んでもよいのでござりまする、腰抜鋸《こしぬけのこ》のように生きていたくもないのですわ、其夜《それ》からというものは真実《ほんと》、真実でござりまする上人様、晴れて居る空を見ても燈光《あかり》の達《とど》かぬ室《へや》の隅《すみ》の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬっと突っ立って私を見下しておりまするわ、とうとう自分が造りたい気になって、とても及ばぬとは知りながら毎日仕事を終るとすぐに夜を籠《こ》めて五十分一の雛形《ひながた》をつくり、昨夜《ゆうべ》でちょうど仕上げました、見に来て下されお上人様、頼まれもせぬ仕事はできてしたい仕事はできない口惜しさ、ええ不運ほど情ないものはないと私《わし》が歎けばお上人様、なまじできずば不運も知るまいと女房めが其雛形《それ》をば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけによけい泣きました、お上人様お慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、こここの通り、と両手を合わせて頭《かしら》を畳に、涙は塵を浮べたり。

     其七

 木彫りの羅漢《らかん》のように黙々と坐りて、菩提樹《ぼだいじゅ》の実の珠数《ずず》繰りながら十兵衛が埒《らち》なき述懐に耳を傾け居られし上人、十兵衛が頭《かしら》を下ぐるを制しとどめて、わかりました、よく合点が行きました、ああ殊勝な心がけを持って居らるる、立派な考えを蓄《たくわ》えていらるる、学徒どもの示しにもしたいような、老衲《わし》も思わず涙のこぼれました、五十分一の雛形とやらも是非見にまいりましょう、しかし汝《そなた》に感服したればとて今すぐに五重の塔の工事《しごと》を汝に任するわと、軽忽《かるはずみ》なことを老衲の独断《ひとりぎめ》で言うわけにもならねば、これだけは明瞭《はっきり》とことわっておきまする、いずれ頼むとも頼まぬともそれは表立って、老衲からではなく感応寺から沙汰をしましょう、ともかくも幸い今日は閑暇《ひま》のあれば汝が作った雛形を見たし、案内してこれよりすぐに汝が家へ老衲を連れて行てはくれぬか、とすこしも辺幅《ようだい》を飾らぬ人の、義理《すじみち》明らかに言葉|渋滞《しぶり》なく云いたまえば、十兵衛満面に笑みを含みつつ米|舂《つ》くごとくむやみに頭を下げて、はい、はい、はいと答えおりしが、願いをお取り上げ下されましたか、ああありがとうござりまする、野生《わたくし》の宅《うち》へおいで下さりますると、ああもったいない、雛形はじきに野生めが持ってまいりまする、御免下され、と云いさまさすがののっそりも喜悦に狂して平素《つね》には似ず、大げさに一つぽっくりと礼をばするや否や、飛石に蹴躓《けつまず》きながら駈け出してわが家に帰り、帰ったと一言女房にも云わず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを熟《よく》視《み》たまうに
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