り騒ぐところへ、後園の花|二枝《にし》三枝|剪《はさ》んで床の眺めにせんと、境内《けいだい》あちこち逍遙《しょうよう》されし朗円上人、木蘭色《もくらんじき》の無垢《むく》を着て左の手に女郎花《おみなえし》桔梗《ききょう》、右の手に朱塗《しゅ》の把《にぎ》りの鋏《はさみ》持たせられしまま、図らずここに来かかりたまいぬ。
其六
何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまう鶴《つる》の一声のお言葉に群雀の輩《ともがら》鳴りを歇《とど》めて、振り上げし拳《こぶし》を蔵《かく》すに地《ところ》なく、禅僧の問答にありやありやと云いかけしまま一喝されて腰の折《くだ》けたるごとき風情なるもあり、捲《まく》り縮めたる袖を体裁《きまり》悪げに下してこそこそと人の後ろに隠るるもあり。天を仰げる鼻の孔《あな》より火煙も噴《ふ》くべき驕慢《きょうまん》の怒りに意気|昂《たか》ぶりし為右衛門も、少しは慚《は》じてや首をたれ掌《て》を揉《も》みながら、自己《おのれ》が発頭人なるに是非なく、ありし次第をわが田に水引き水引き申し出づれば、痩せ皺びたる顔に深く長く痕《つ》いたる法令の皺溝《すじ》をひとしお深めて、にったりと徐《ゆる》やかに笑いたまい、婦女《おんな》のように軽《かろ》く軟《やわ》らかな声小さく、それならば騒がずともよいこと、為右衛門|汝《そなた》がただ従順《すなお》に取り次ぎさえすれば仔細はのうてあろうものを、さあ十兵衛殿とやら老衲《わし》について此方《こち》へおいで、とんだ気の毒な目に遇《あ》わせました、と万人に尊敬《うやま》い慕わるる人はまた格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和《ものやさ》しく先に立って静かに導きたまう後について、迂濶《うかつ》な根性にも慈悲の浸み透れば感涙とどめあえぬ十兵衛、だんだんと赤土のしっとりとしたるところ、飛石の画趣《えごころ》に布《し》かれあるところ、梧桐《あおぎり》の影深く四方竹の色ゆかしく茂れるところなど※[#「螢」の「虫」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]《めぐ》り繞《めぐ》り過ぎて、小《ささ》やかなる折戸を入れば、花もこれというはなき小庭のただものさびて、有楽形《うらくがた》の燈籠《とうろう》に松の落葉の散りかかり、方星宿《ほうせいしゅく》の手水鉢《ちょうずばち》に苔《こけ》の蒸せるが見る眼の塵《ちり》をも洗うばかりなり。
上人庭下駄脱ぎすてて上にあがり、さあ汝《そなた》も此方《こち》へ、と云いさして掌《て》に持たれし花を早速《さそく》に釣花活《つりはないけ》に投げこまるるにぞ、十兵衛なかなか怯《お》めず臆《おく》せず、手拭《てぬぐい》で足はたくほどのことも気のつかぬ男とてなすことなく、草履脱いでのっそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突き合わすまで上人に近づき坐りて黙々と一礼する態《さま》は、礼儀に嫻《なら》わねど充分に偽飾《いつわり》なき情《こころ》の真実《まこと》をあらわし、幾たびかすぐにも云い出でんとしてなお開きかぬる口をようやくに開きて、舌の動きもたどたどしく、五重の塔の、御願いに出ましたは五重の塔のためでござります、と藪《やぶ》から棒を突き出したように尻《しり》もったてて声の調子も不揃《ふぞろ》いに、辛くも胸にあることを額やら腋《わき》の下の汗とともに絞り出せば、上人おもわず笑いを催され、何か知らねど老衲《わし》をば怖《こわ》いものなぞと思わず、遠慮を忘れてゆるりと話をするがよい、庫裡の土間に坐り込《こ》うで動かずにいた様子では、何か深う思い詰めて来たことであろう、さあ遠慮を捨てて急《せ》かずに、老衲をば朋友《ともだち》同様におもうて話すがよい、とあくまで慈《やさ》しき注意《こころぞえ》。十兵衛|脆《もろ》くも梟《ふくろ》と常々悪口受くる銅鈴眼《すずまなこ》にはや涙を浮めて、はい、はい、はいありがとうござりまする、思い詰めて参上《まい》りました、その五重の塔を、こういう野郎でござります、御覧の通り、のっそり十兵衛と口惜《くや》しい諢名《あだな》をつけられて居る奴《やっこ》でござりまする、しかしお上人様、真実《ほんと》でござりまする、工事《しごと》は下手ではござりませぬ、知っております私《わたく》しは馬鹿でござります、馬鹿にされております、意気地のない奴《やつ》でござります、虚誕《うそ》はなかなか申しませぬ、お上人様、大工はできます、大隅流《おおすみりゅう》は童児《こども》の時から、後藤《ごとう》立川《たてかわ》二ツの流義も合点《がてん》致しておりまする、させて、五重塔の仕事を私にさせていただきたい、それで参上《まい》りました、川越の源太様が積りをしたとは五六日前聞きました、それから私は寝ませぬわ、お上人様、五重塔は百年に一度一生に一度建つものではござりませぬ、恩
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