の血の音悲鳴の声、それらをすべて人間より取れ、残忍のほか快楽《けらく》なし、酷烈ならずば汝ら疾《と》く死ね、暴れよ進めよ、無法に住して放逸|無慚《むざん》無理無体に暴れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦え仏をも擲《たた》け、道理を壊《やぶ》って壊りすてなば天下は我らがものなるぞと、叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]《しった》するたび土石を飛ばして丑《うし》の刻より寅《とら》の刻、卯《う》となり辰《たつ》となるまでもちっとも止まず励ましたつれば、数万《すまん》の眷属《けんぞく》勇みをなし、水を渡るは波を蹴かえし、陸《おか》を走るは沙《すな》を蹴かえし、天地を塵埃《ほこり》に黄ばまして日の光をもほとほと掩《おお》い、斧を揮って数寄者が手入れ怠りなき松を冷笑《あざわら》いつつほっきと斫《き》るあり、矛を舞わして板屋根にたちまち穴を穿《うが》つもあり、ゆさゆさゆさと怪力もてさも堅固なる家を動かし橋を揺がすものもあり。手ぬるし手ぬるし酷《むご》さが足らぬ、我に続けと憤怒《ふんぬ》の牙噛み鳴らしつつ夜叉王の躍《おど》り上って焦躁《いらだ》てば、虚空《こくう》に充《み》ち満ちたる眷属、おたけび鋭くおめき叫んで遮《しゃ》に無に暴威を揮うほどに、神前寺内に立てる樹も富家《ふうか》の庭に養《か》われし樹も、声振り絞って泣き悲しみ、見る見る大地の髪の毛は恐怖に一々|竪立《じゅりつ》なし、柳は倒れ竹は割るる折しも、黒雲空に流れて樫《かし》の実よりも大きなる雨ばらりばらりと降り出せば、得たりとますます暴るる夜叉、垣《かき》を引き捨て塀《へい》を蹴倒し、門をも破《こわ》し屋根をもめくり軒端《のきば》の瓦《かわら》を踏み砕き、ただ一[#(ト)]揉みに屑屋《くずや》を飛ばし二[#(タ)]揉み揉んでは二階を捻《ね》じ取り、三たび揉んでは某寺《なにがしでら》をものの見事に潰《ついや》し崩《くず》し、どうどうどっと鬨《とき》をあぐるそのたびごとに心を冷やし胸を騒がす人々の、あれに気づかいこれに案ずる笑止の様を見ては喜び、居所さえもなくされて悲しむものを見ては喜び、いよいよ図に乗り狼藉《ろうぜき》のあらん限りを逞《たくま》しゅうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。
 中にもわけて驚きしは円道為右衛門、せっかくわずかに出来上りし五重塔は揉まれ揉まれて九輪は動《ゆら》ぎ、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突っかけ来たり、楯をも貫くべき雨のぶつかり来るたび撓《たわ》む姿、木の軋《きし》る音、復《もど》る姿《さま》、また撓む姿、軋る音、今にも傾覆《くつがえ》らんず様子に、あれあれ危し仕様はなきか、傾覆られては大事なり、止むる術《すべ》もなきことか、雨さえ加わり来たりし上|周囲《まわり》に樹木もあらざれば、未曽有の風に基礎《どだい》狭くて丈のみ高きこの塔の堪《こら》えんことのおぼつかなし、本堂さえもこれほどに動けば塔はいかばかりぞ、風を止むる呪文はきかぬか、かく恐ろしき大暴風雨《おおあらし》に見舞いに来べき源太は見えぬか、まだ新しき出入りなりとて重々来ではかなわざる十兵衛見えぬか寛怠《かんたい》なり、他《ひと》さえかほど気づかうに己《おの》がせし塔気にかけぬか、あれあれ危しまた撓んだわ、誰か十兵衛|招《よ》びに行け、といえども天に瓦飛び板飛び、地上に砂利の舞う中を行かんというものなく、ようやく賞美の金に飽かして掃除人の七蔵爺《しちぞうじじ》を出しやりぬ。

     其三十三

 耄碌頭巾《もうろくずきん》に首をつつみてその上に雨を凌《しの》がん準備《ようい》の竹の皮笠引き被《かぶ》り、鳶子合羽《とんびがっぱ》に胴締めして手ごろの杖持ち、恐怖《こわごわ》ながら烈風強雨の中を駈《か》け抜けたる七蔵|爺《おやじ》、ようやく十兵衛が家にいたれば、これはまた酷《むご》いこと、屋根半分はもうとうに風に奪《と》られて見るさえ気の毒な親子三人の有様、隅の方にかたまり合うて天井より落ち来る点滴《しずく》の飛沫《しぶき》を古筵《ふるござ》でわずかに避《よ》け居る始末に、さてものっそりは気に働らきのない男と呆れ果てつつ、これ棟梁殿、この暴風雨《あらし》にそうして居られては済むまい、瓦が飛ぶ樹が折れる、戸外《おもて》はまるで戦争《いくさ》のような騒ぎの中に、汝《おまえ》の建てられたあの塔はどうあろうと思わるる、丈は高し周囲《まわり》に物はなし基礎《どだい》は狭し、どの方角から吹く風をも正面《まとも》に受けて揺れるわ揺れるわ、旗竿《はたざお》ほどに撓んではきちきちと材《き》の軋《きし》る音の物凄《ものすご》さ、今にも倒れるか壊《こわ》れるかと、円道様も為右衛門様も胆を冷やしたり縮ましたりして気が気ではなく心配して居らるるに、一体ならば迎いなど受け
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