ん手放すを、と何やらかやらありたけ出して婢《おんな》に包ませ、夫の帰らぬそのうちと櫛笄《くしこうがい》も手ばしこく小箱に纏《まと》めて、さてそれを無残や余所《よそ》の蔵《くら》に籠《こも》らせ、幾らかの金|懐中《ふところ》に浅黄の頭巾|小提灯《こぢょうちん》、闇夜《やみよ》も恐れず鋭次が家に。

     其二十七

 池の端の行き違いより翻然《からり》と変りし源太が腹の底、初めは可愛《かわゆ》う思いしも今は小癪《こしゃく》に障《さわ》ってならぬその十兵衛に、頭《かしら》を下げ両手をついて謝罪《あやま》らねばならぬ忌々《いまいま》しさ。さりとて打ち捨ておかば清吉の乱暴も我《わ》が命令《いいつ》けてさせしかのよう疑がわれて、何も知らぬ身に心地|快《よ》からぬ濡衣《ぬれぎぬ》被《き》せられんことの口惜しく、たださえおもしろからぬこのごろよけいな魔がさして下らぬ心労《こころづか》いを、馬鹿馬鹿しき清吉めが挙動《ふるまい》のためにせねばならぬ苦々しさにますます心|平穏《おだやか》ならねど、処弁《さば》く道の処弁《さば》かで済むべきわけもなければ、これも皆自然に湧きしこと、なんとも是非なしと諦めて厭々ながら十兵衛が家|音問《おとず》れ、不慮の難をば訪い慰め、かつは清吉を戒むること足らざりしを謝《わ》び、のっそり夫婦が様子を視《み》るに十兵衛は例の無言三昧、お浪は女の物やさしく、幸い傷も肩のは浅く大したことではござりませねばどうぞお案じ下されますな、わざわざお見舞い下されては実《まこと》に恐れ入りまする、と如才なく口はきけど言葉遣いのあらたまりて、自然《おのず》とどこかに稜角《かど》あるは問わずと知れし胸の中《うち》、もしや源太が清吉に内々含めてさせしかと疑い居るに極まったり。
 ええ業腹《ごうはら》な、十兵衛も大方我をそう視て居るべし、とく時機《とき》の来よこの源太が返報《しかえし》仕様を見せてくれん、清吉ごとき卑劣《けち》な野郎のしたことに何似るべきか、釿《ちょうな》で片耳|殺《そ》ぎ取るごときくだらぬことを我《わ》がしょうや、わが腹立ちは木片《こっぱ》の火のぱっと燃え立ちすぐ消ゆる、堪《こら》えも意地もなきようなることでは済まさじ承知せじ、今日の変事は今日の変事、わが癇癪はわが癇癪、まるで別なり関係《かかりあい》なし、源太がしようは知るとき知れ悟らする時悟らせくれんと、裏《うち》にいよいよ不平は懐《いだ》けど露塵《つゆちり》ほども外には出さず、義理の挨拶《あいさつ》見事に済ましてすぐその足を感応寺に向け、上人のお目通り願い、一応|自己《おのれ》が隷属《みうち》の者の不埒《ふらち》をお謝罪《わび》し、わが家に帰りて、いざこれよりは鋭次に会い、その時清を押えくれたる礼をも演《の》べつその時の景状《ようす》をも聞きつ、また一ツにはさんざん清を罵《ののし》り叱って以後《こののち》わが家に出入り無用と云いつけくれんと立ち出でかけ、お吉のいぬを不審してどこへと問えば、どちらへかちょと行て来るとてお出でになりました、と何食わぬ顔で婢《おんな》の答え、口禁《くちど》めされてなりとは知らねば、おおそうか、よしよし、我《おれ》は火の玉の兄きがところへ遊びに行たとお吉帰らば云うておけ、と草履《ぞうり》つっかけ出合いがしら、胡麻竹《ごまだけ》の杖《つえ》とぼとぼと焼痕《やけこげ》のある提灯《ちょうちん》片手、老いの歩みの見る目笑止にへの字なりして此方《こち》へ来る婆《ばば》。おお清の母親《おふくろ》ではないか。あ、親方様でしたか、

     其二十八

 ああ好いところでお眼にかかりましたがどちらへかお出かけでござりまするか、と忙《せわ》しげに老婆《ばば》が問うに源太|軽《かろ》く会釈して、まあよいわ、遠慮せずと此方《こち》へはいりゃれ、わざわざ夜道を拾うて来たは何ぞ急の用か、聴いてあげよう、と立ち戻れば、ハイハイ、ありがとうござります、お出かけのところを済みません、御免下さいまし、ハイハイ、と云いながら後に随《つ》いて格子戸くぐり、寒かったろうによう出て来たの、あいにくお吉もいないで関《かま》うこともできぬが、縮こまっていずとずっと前へ進《で》て火にでもあたるがよい、と親切に云うてくるる源太が言葉にいよいよ身を堅くして縮こまり、お構い下さいましては恐れ入りまする、ハイハイ、懐炉を入れておりますればこれで恰好《かっこう》でござりまする、と意久地なく落ちかかる水涕《みずばな》を洲の立った半天の袖で拭《ふ》きながらはるか下って入口近きところに蹲《うずく》まり、何やら云い出したそうな素振り、源太早くも大方察して老婆《としより》の心の中さぞかしと気の毒さ堪《たま》らず、よけいなことし出《いだ》して我に肝煎《きもい》らせし清吉のお先走りを罵《ののし》り懲らして、当
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