と》の気心が働いて呉れたならば斯も貧乏は為まいに、技倆《わざ》はあつても宝の持ち腐れの俗諺《たとへ》の通り、何日《いつ》其|手腕《うで》の顕れて万人の眼に止まると云ふことの目的《あて》もない、たゝき大工|穴鑿《あなほ》り大工、のつそり[#「のつそり」に傍点]といふ忌※[#二の字点、1−2−22]しい諢名さへ負せられて同業中《なかまうち》にも軽しめらるゝ歯痒さ恨めしさ、蔭でやきもきと妾が思ふには似ず平気なが憎らしい程なりしが、今度はまた何した事か感応寺に五重塔の建つといふ事聞くや否や、急にむら/\と其仕事を是非|為《す》る気になつて、恩のある親方様が望まるゝをも関はず胴慾に、此様な身代の身に引き受けうとは、些《ちと》えら過ぎると連添ふ妾でさへ思ふものを、他人は何んと噂さするであらう、ましてや親方様は定めし憎いのつそりめと怒つてござらう、お吉《きち》様は猶ほ更ら義理知らずの奴めと恨んでござらう、今日は大抵|何方《どちら》にか任すと一言上人様の御定めなさる筈とて、今朝出て行かれしが未だ帰られず、何か今度の仕事だけは彼程吾夫は望んで居らるゝとも此方は分に応ぜず、親方には義理もあり旁《かたが》た親方の方に上人様の任さるればよいと思ふやうな気持もするし、また親方様の大気にて別段怒りもなさらずば、吾夫に為せて見事成就させたいやうな気持もする、ゑゝ気の揉める、何なる事か、到底《とても》良人《うち》には御任せなさるまいが若もいよ/\吾夫の為る事になつたら、何の様にまあ親方様お吉様の腹立てらるゝか知れぬ、あゝ心配に頭脳《あたま》の痛む、また此が知れたらば女の要らぬ無益《むだ》心配、其故何時も身体の弱いと、有情《やさし》くて無理な叱言《こゞと》を受くるであらう、もう止めましよ止めましよ、あゝ痛、と薄痘痕《うすいも》のある蒼い顔を蹙《しか》めながら即効紙の貼つてある左右の顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》を、縫ひ物捨てゝ両手で圧へる女の、齢は二十五六、眼鼻立ちも醜からねど美味《うま》きもの食はぬに膩気《あぶらけ》少く肌理《きめ》荒れたる態あはれにて、襤褸衣服《ぼろぎもの》にそゝけ髪ます/\悲しき風情なるが、つく/″\独り歎ずる時しも、台所の劃《しき》りの破れ障子がらりと開けて、母様これを見てくれ、と猪之が云ふに吃驚して、汝は何時から其所に居た、と云ひながら見れば、四分板六分板の切端を積んで現然《あり/\》と真似び建てたる五重塔、思はず母親涙になつて、おゝ好い児ぞと声曇らし、いきなり猪之に抱きつきぬ。

       其四

 当時に有名《なうて》の番匠川越の源太が受負ひて作りなしたる谷中感応寺の、何処に一つ批点を打つべきところ有らう筈なく、五十畳敷|格天井《がうてんじやう》の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部《いくつ》かの客殿、大和尚が居室《ゐま》、茶室、学徒|所化《しよけ》の居るべきところ、庫裡《くり》、浴室、玄関まで、或は荘厳を尽し或は堅固を極め、或は清らかに或は寂《さ》びて各※[#二の字点、1−2−22]其宜しきに適ひ、結構少しも申し分なし。そも/\微※[#二の字点、1−2−22]たる旧基を振ひて箇程《かほど》の大寺を成せるは誰ぞ。法諱《おんな》を聞けば其頃の三歳児《みつご》も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗圓上人とて、早くより身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那《びばしやな》の三行に寂静《じやくじやう》の慧劒《ゑけん》を礪《と》ぎ、四種の悉檀《しつたん》に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の葷羶《くんせん》を避くるによつて鶴の如くに痩せ、眼《まなこ》は人世の紛紜に厭きて半睡れるが如く、固より壊空《ゑくう》の理を諦《たい》して意欲の火炎《ほのほ》を胸に揚げらるゝこともなく、涅槃《ねはん》の真を会《ゑ》して執着の彩色《いろ》に心を染まさるゝことも無ければ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕ひ風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、其等のものが雨露凌がん便宜《たより》も旧《もと》のまゝにては無くなりしまゝ、猶少し堂の広くもあれかしなんど独語《つぶや》かれしが根となりて、道徳高き上人の新に規模を大うして寺を建てんと云ひ玉ふぞと、此事八方に伝播《ひろま》れば、中には徒弟の怜悧《りこう》なるが自ら奮つて四方に馳せ感応寺建立に寄附を勧めて行《ある》くもあり、働き顔に上人の高徳を演《の》べ説き聞かし富豪を慫慂《すゝ》めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素《ひごろ》より随喜渇仰の思ひを運べるもの雲霞の如きに此勢をもつてしたれば、上諸侯より下町人まで先を争ひ財を投じて、我一番に福田《ふくでん》へ種子を投じて後の世を安楽《やす》くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川《ひやくせん》海に入るごとく瞬く間《ひま》に金銭の驚かるゝほど集りけるが、それより世才に長《た》けたるものの世話人となり用人なり、万事万端執り行ふて頓《やが》て立派に成就しけるとは、聞いてさへ小気味のよき話なり。
 然るに悉皆《しつかい》成就の暁、用人頭の爲右衞門普請諸入用諸雑費一切しめくゝり、手脱《てぬか》る事なく決算したるに尚大金の剰《あま》れるあり。此をば如何になすべきと役僧の圓道もろとも、髪ある頭に髪無き頭突き合はせて相談したれど別に殊勝なる分別も出でず、田地を買はんか畠買はんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今更また此浄財を其様な事に費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なり好《よき》に計らへと皺枯れたる御声にて云ひたまはんは知れてあれど、恐る/\圓道或時、思さるゝ用途《みち》もやと伺ひしに、塔を建てよと唯一言云はれし限《ぎ》り振り向きも為たまはず、鼈甲縁の大きなる眼鏡の中より微なる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙※[#二の字点、1−2−22]と読み続けられけるが、いよ/\塔の建つに定つて例の源太に、積り書出せと圓道が命令《いひつ》けしを、知つてか知らずに歟《か》上人様に御目通り願ひたしと、のつそりが来しは今より二月程前なりし。

       其五

 紺とはいへど汗に褪め風に化《かは》りて異な色になりし上、幾度か洗ひ濯《すゝ》がれたるため其としも見えず、襟の記印《しるし》の字さへ朧気となりし絆纏を着て、補綴《つぎ》のあたりし古股引を穿きたる男の、髪は塵埃《ほこり》に塗《まみ》れて白け、面は日に焼けて品格《ひん》なき風采《やうす》の猶更品格なきが、うろ/\のそ/\と感応寺の大門を入りにかゝるを、門番尖り声で何者ぞと怪み誰何《たゞ》せば、吃驚して暫時《しばらく》眼を見張り、漸く腰を屈めて馬鹿丁寧に、大工の十兵衞と申しまする、御普請につきまして御願に出ました、とおづ/\云ふ風態《そぶり》の何となく腑には落ちねど、大工とあるに多方源太が弟子かなんぞの使ひに来りしものならむと推察《すゐ》して、通れと一言|押柄《あふへい》に許しける。
 十兵衞これに力を得て、四方《あたり》を見廻はしながら森厳《かう/″\》しき玄関前にさしかゝり、御頼申《おたのまを》すと二三度いへば鼠衣の青黛頭《せいたいあたま》、可愛らしき小坊主の、応《おゝ》と答へて障子引き開けしが、応接に慣れたるものの眼|捷《ばや》く人を見て、敷台までも下りず突立ちながら、用事なら庫裡の方へ廻れ、と情無《つれな》く云ひ捨てゝ障子ぴつしやり、後は何方《どこ》やらの樹頭《き》に啼く鵯《ひよ》の声ばかりして音もなく響きもなし。成程と独言しつゝ十兵衞庫裡にまはりて復案内を請へば、用人爲右衞門仔細らしき理屈顔して立出で、見なれぬ棟梁殿、何所《いづく》より何の用事で見えられた、と衣服《みなり》の粗末なるに既《はや》侮り軽しめた言葉遣ひ、十兵衞さらに気にもとめず、野生《わたくし》は大工の十兵衞と申すもの、上人様の御眼にかゝり御願ひをいたしたい事のあつてまゐりました、どうぞ御取次ぎ下されまし、と首《かうべ》を低くして頼み入るに、爲右衞門ぢろりと十兵衞が垢臭き頭上《あたま》より白の鼻緒の鼠色になつた草履穿き居る足先まで睨め下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用に御関りはなされぬは、願といふは何か知らねど云ふて見よ、次第によりては我が取り計ふて遣る、と然《さ》も/\万事心得た用人めかせる才物ぶり。それを無頓着の男の質朴《ぶきよう》にも突き放して、いゑ、ありがたうはござりますれど上人様に直※[#二の字点、1−2−22]で無うては、申しても役に立ちませぬ事、何卒たゞ御取次を願ひまする、と此方の心が醇粋《いつぽんぎ》なれば先方《さき》の気に触る言葉とも斟酌せず推返し言へば、爲右衞門腹には我を頼まぬが憎くて慍《いか》りを含み、理《わけ》の解らぬ男ぢやの、上人様は汝《きさま》ごとき職人等に耳は仮したまはぬといふに、取次いでも無益《むやく》なれば我が計ふて得させんと、甘く遇《あしら》へば附上る言分、最早何も彼も聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の常態《つね》とて語気たちまち粗暴《あら》くなり、謬《にべ》なく言ひ捨て立んとするに周章《あわ》てし十兵衞、ではござりませうなれど、と半分いふ間なく、五月蠅、喧しいと打消され、奥の方に入られて仕舞ふて茫然《ぼんやり》と土間に突立つたまゝ掌《て》の裏《うち》の螢に脱去《ぬけ》られし如き思ひをなしけるが、是非なく声をあげて復案内を乞ふに、口ある人の有りや無しや薄寒き大寺の岑閑《しんかん》と、反響《ひゞき》のみは我が耳に堕ち来れど咳声《しはぶき》一つ聞えず、玄関にまはりて復頼むといへば、先刻《さき》見たる憎気な怜悧|小僧《こばうず》の一寸顔出して、庫裡へ行けと教へたるに、と独語《つぶや》きて早くも障子ぴしやり。
 復庫裡に廻り復玄関に行き、復玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む/\御頼申すと叫べば、其声《それ》より大《でか》き声を発《いだ》して馬鹿めと罵りながら爲右衞門づか/\と立出で、僮僕《をとこ》ども此|狂漢《きちがひ》を門外に引き出せ、騒※[#二の字点、1−2−22]しきを嫌ひたまふ上人様に知れなば、我等が此奴のために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より僕人《をとこ》部屋に転がり居し寺僕《をとこ》等立かゝり引き出さんとする、土間に坐り込んで出されじとする十兵衞。それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口※[#二の字点、1−2−22]に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝三枝|剪《はさ》んで床の眺めにせんと、境内彼方此方逍遥されし朗圓上人、木蘭色《もくらんじき》の無垢を着て左の手に女郎花桔梗、右の手に朱塗《しゆ》の把りの鋏持たせられしまゝ、図らず此所に来かゝりたまひぬ。

       其六

 何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまふ鶴の一声の御言葉に群雀の輩《ともがら》鳴りを歇《とゞ》めて、振り上げし拳を蔵《かく》すに地《ところ》なく、禅僧の問答に有りや有りやと云ひかけしまゝ一喝されて腰の折《くだ》けたる如き風情なるもあり、捲り縮めたる袖を体裁《きまり》悪げに下して狐鼠※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]《こそ/\》と人の後に隠るゝもあり。天を仰げる鼻の孔より火烟も噴べき驕慢の怒に意気昂ぶりし爲右衞門も、少しは慚《は》ぢてや首を俛《た》れ掌《て》を揉みながら、自己《おのれ》が発頭人なるに是非なく、有し次第を我田に水引き/\申し出れば、痩せ皺びたる顔に深く長く痕《つ》いたる法令の皺溝《すぢ》をひとしほ深めて、につたりと徐《ゆるや》かに笑ひたまひ、婦女《をんな》のやうに軽く軟かな声小さく、それならば騒がずともよいこと、爲右衞門|汝《そなた》がたゞ従順《すなほ》に取り次さへすれば仔細は無うてあらうものを、さあ十兵衞殿とやら老衲《わし》について此方へ可来《おいで》、とんだ気の毒な目に遇はせました、と万人に尊敬《うやま》ひ慕はるゝ人は又格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和《ものやさ》しく先に立て静に導きたまふ後について、迂濶な根性にも慈
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