くるに、時は空しく経過《たつ》て障子の日※[#「日/咎」、第3水準1−85−32]《ひかげ》一尺動けど尚見えず、二尺も移れど尚見えず。
是非|先方《むかう》より頭を低し身を縮《すぼ》めて此方へ相談に来り、何卒半分なりと仕事を割与《わけ》て下されと、今日の上人様の御慈愛《おなさけ》深き御言葉を頼りに泣きついても頼みをかけべきに、何として如是《かう》は遅きや、思ひ断めて望を捨て、既早相談にも及ばずとて独り我家に燻《くすぼ》り居るか、それともまた此方より行くを待つて居る歟《か》、若しも此方の行くを待つて居るといふことならば余り増長した了見なれど、まさかに其様な高慢気も出すまじ、例ののつそりで悠長に構へて居るだけの事ならむが、扨も気の長い男め迂濶にも程のあれと、煙草ばかり徒らに喫《ふ》かし居て、待つには短き日も随分長かりしに、それさへ暮れて群烏|塒《ねぐら》に帰る頃となれば、流石に心おもしろからず漸く癇癪の起り/\て耐へきれずなりし潮先、据られし晩食《ゆふめし》の膳に対ふと其儘云ひ訳ばかりに箸をつけて茶さへ緩《ゆる》りとは飲まず、お吉、十兵衞めがところに一寸行て来る、行違ひになつて不在《るす》へ来ば待たして置け、と云ふ言葉さへとげ/\しく怒りを含んで立出かゝれば、気にはかゝれど何とせん方もなく、女房は送つて出したる後にて、たゞ溜息をするのみなり。
其十三
渋つて聞きかぬる雨戸に一[#(ト)]しほ源太は癇癪の火の手を亢《たかぶ》らせつゝ、力まかせにがち/\引き退け、十兵衞家にか、と云ひさまに突と這入れば、声色知つたるお浪早くもそれと悟つて、恩ある其人の敵《むかう》に今は立ち居る十兵衞に連添へる身の面を対《あは》すこと辛く、女気の纎弱《かよわ》くも胸を動悸《どき》つかせながら、まあ親方様、と唯一言我知らず云ひ出したる限《ぎ》り挨拶さへどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]して急には二の句の出ざる中、煤けし紙に針の孔、油染みなんど多き行燈の小蔭に悄然《しよんぼり》と坐り込める十兵衞を見かけて源太にずつと通られ、周章て火鉢の前に請ずる機転の遅鈍《まづき》も、正直ばかりで世態《よ》を知悉《のみこま》ぬ姿なるべし。
十兵衞は不束に一礼して重げに口を開き、明日の朝|参上《あが》らうとおもふて居りました、といへばぢろりと其顔下眼に睨み、態と泰然《おちつき》たる源太、応、左
前へ
次へ
全67ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング