やゝ》久しきところへ、例の怜悧気な小僧《こばうず》いで来りて、方丈さまの召しますほどに此方へおいでなされまし、と先に立つて案内すれば、素破《すは》や願望《のぞみ》の叶ふとも叶はざるとも定まる時ぞと魯鈍《おろか》の男も胸を騒がせ、導かるゝまゝ随ひて一室の中へずつと入る、途端に此方をぎろりつと見る眼鋭く怒を含むで斜に睨むは思ひがけなき源太にて、座に上人の影もなし。事の意外に十兵衞も足踏みとめて突立つたるまゝ一言もなく白眼《にらみ》合ひしが、是非なく畳二ひらばかりを隔てしところに漸く坐り、力なげ首|悄然《しを/\》と己れが膝に気勢《いきほひ》のなきたさうなる眼を注ぎ居るに引き替へ、源太郎は小狗《こいぬ》を瞰下《みおろ》す猛鷲《あらわし》の風に臨んで千尺の巌の上に立つ風情、腹に十分の強みを抱きて、背をも屈げねば肩をも歪めず、すつきり端然《しやん》と構へたる風姿《やうだい》と云ひ面貌《きりやう》といひ水際立つたる男振り、万人が万人とも好かずには居られまじき天晴小気味のよき好漢《をとこ》なり。
されども世俗の見解《けんげ》には堕ちぬ心の明鏡に照らして彼れ此れ共に愛し、表面《うはべ》の美醜に露|泥《なづ》まれざる上人の却つて何れをとも昨日までは択びかねられしが、思ひつかるゝことのありてか今日はわざ/\二人を招び出されて一室に待たせ置かれしが、今しも静※[#二の字点、1−2−22]居間を出られ、畳踏まるゝ足も軽く、先に立つたる小僧《こばうず》[#ルビの「こばうず」は底本では「こばうす」]が襖明くる後より、すつと入りて座につきたまへば、二人は恭《うやま》ひ敬《つゝし》みて共に斉しく頭を下げ、少時上げも得せざりしが、嗚呼いぢらしや十兵衞が辛くも上げし面には、未だ世馴れざる里の子の貴人の前に出しやうに羞《はぢ》を含みて紅|潮《さ》し、額の皺の幾条の溝には沁出《にじみ》し熱汗《あせ》を湛へ、鼻の頭《さき》にも珠を湧かせば腋の下には雨なるべし。膝に載《お》きたる骨太の掌指《ゆび》は枯れたる松枝《まつがえ》ごとき岩畳作りにありながら、一本ごとに其さへも戦※[#二の字点、1−2−22]《わな/\》顫へて一心に唯上人の一言を一期《いちご》の大事と待つ笑止さ。
源太も黙して言葉なく耳を澄まして命を待つ、那方《どちら》を那方と判かぬる、二人の情《こゝろ》を汲みて知る上人もまた中※[#二の字点、1−
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