がら戦ったわが掌《て》を十分に洗って、ふところ紙《がみ》三、四枚でそれを拭《ぬぐ》い、そのまま海へ捨てますと、白い紙玉《かみだま》は魂《たましい》ででもあるようにふわふわと夕闇の中を流れ去りまして、やがて見えなくなりました。吉は帰りをいそぎました。
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏、ナア、一体どういうのだろう。なんにしても岡釣《おかづり》の人には違いねえな。」
「ええ、そうです。どうも見たこともねえ人だ。岡釣でも本所、深川《ふかがわ》、真鍋河岸《まなべがし》や万年《まんねん》のあたりでまごまごした人とも思われねえ、あれは上《かみ》の方の向島《むこうじま》か、もっと上の方の岡釣師ですな。」
「なるほど勘が好い、どうもお前うまいことを言う、そして。」
「なアに、あれは何でもございませんよ、中気《ちゅうき》に決まっていますよ。岡釣をしていて、変な処にしゃがみ込んで釣っていて、でかい魚《さかな》を引《ひっ》かけた途端に中気が出る、転げ込んでしまえばそれまででしょうネ。だから中気の出そうな人には平場でない処の岡釣はいけねえと昔から言いまさあ。勿論《もちろん》どんなところだっ
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