な」と思わず小声で言った時、夕風が一※[#「※」は小書きの「ト」]筋さっと流れて、客は身体《からだ》の何処《どこ》かが寒いような気がした。捨ててしまっても勿体《もったい》ない、取ろうかとすれば水中の主《ぬし》が生命《いのち》がけで執念深く握っているのでした。躊躇《ちゅうちょ》のさまを見て吉はまた声をかけました。
 「それは旦那、お客さんが持って行ったって三途川《さんずのかわ》で釣をする訳でもありますまいし、お取りなすったらどんなものでしょう。」
 そこでまたこづいて見たけれども、どうしてなかなかしっかり掴《つか》んでいて放しません。死んでも放さないくらいなのですから、とてもしっかり握っていて取れない。といって刃物を取出《とりだ》して取る訳にも行かない。小指でしっかり竿尻を掴《つか》んで、丁度それも布袋竹《ほていだけ》の節の処を握っているからなかなか取れません。仕方がないから渋川流《しぶかわりゅう》という訳でもないが、わが拇指《おやゆび》をかけて、ぎくりとやってしまった。指が離れる、途端に先《せん》主人《しゅじん》は潮下《しおしも》に流れて行ってしまい、竿はこちらに残りました。かりそめな
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